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奥村隆「息子と僕のアスペルガー物語」【第4回】
教科書を丸ごと脳にプリントする方法

奥村 隆 プロフィール

意地悪をされても、何も言い返せない

 僕は、子供の頃から少し「変な奴」だった。

 現在の僕は、仕事場では「機関銃のようによく喋る奴」だと思われているし、実際、その通りである。よく喋り、よく笑う。前に述べたように、人と会話をしているときでも、勝手に相手の話をさえぎって喋り始めてしまうほどだ。だから、周囲は割とにぎやかな雰囲気になることが多い。

 でも、僕は4歳の終わり頃まで、ほとんど喋ることができなかった。そのためなのだろう、当時、同じ団地に住む2歳年上の意地悪な女の子に、毎日のように「バ~カ!」と罵られていた。

 夕方、団地の入口で彼女に通せんぼをされ、中に入れない。早く家に帰って家族と団欒したいのだが、周囲が暗くなってもなお、彼女は僕を罵倒しつつ、通してくれない。

 そういうとき、文句を言おうにも、僕は何も喋れなかった。相手の言葉は理解できるのだが、自分の口から言葉が出てこないのだ。悲しく、辛く、惨めな思い出であり、いまだに忘れることができない。

 言葉を口に出すことができなかった当時の僕は、いつも「キーッ!」と泣き叫ぶしかなかった。そのときの、異常にもどかしい、苛立たしい感覚を思い出すと、今でも身の毛がよだつほどだ。

 しかも、子供の頃の僕は身体が大きくて、4歳でも小学生に見られるほどの体格だった。それでもうまく喋ることができなかったのだから、周囲からはずいぶん不思議な子供に見えたに違いない。

 実は、医師に電話を入れ、「母の胎内にいたときの記憶」についての説明を聞いたとき、あわせて「僕は子供の頃、喋り始めが遅かったんです」とも話してみた。すると医師からは、「胎内の記憶」に関するものと同じような答えが返ってきた。つまり「あなたのようなタイプには、喋り始めが遅い例が珍しくありません」と言われたのである。

 ただし、喋り始めが遅いからと言ってアスペルガー症候群であるとは限らないし、たとえアスペルガーだったとしても、その後、僕のようにお喋りになる人間も多いという。だから、「仮に子供の喋り始めが遅かったとしても、それだけで親が心配する必要はあまりないんですよね」と医師は語っていた。

 

すべて消えた幼稚園時代の記憶

 そんな僕も5歳になると、少しだけ喋れるようになり、両親は僕を幼稚園に入れた。でも、同学年の子供たちは僕より前から通っており、すでに園内で幼いながら人間関係を構築してしまっていた。

 そんな中に、当時の僕のような、言葉での意思表示やコミュニケーションがろくにできない子供が入っていったのだ。スタートは最悪のものとなった。