第11回 小林一三(その二)
大阪を起点とする「最も有望なる電車」。
その一大事業を賑やかに宣伝した

福田 和也

 一三が阪鶴の監査役を務めた期間は短いものだったが、新しく大阪を起点とし、池田、宝塚、有馬を結ぶ電気軌道を設立しようとする計画が建てられた。一三は、土居通夫、野田卯太郎ら関西財界のお歴々を相手に、失権株全てを一三ひとりで引き受けるという、大胆な提案をした。

阪急宝塚線・池田駅 阪急電鉄(旧箕面有馬電気軌道)・池田駅付近の住宅地は、関西での私鉄沿線開発の先駆けとして形成された

 土居らは、一三が土居らに一切迷惑をかけないこと、会社を解散する場合は株主に証拠金すべてを返し、証拠金五万円は一三が支払うという厳しい条件の下、新しい鉄道―箕面有馬電軌―の経営を一三に委ねた。

 明治四十一年十月、一三は『最も有望なる電車』というパンフレットを一万冊、大阪市内で配布した。

 パンフレットは、問答形式で編まれている。

「箕面有馬電気軌道会社の開業はいつごろですか」

「明治四十三年四月一日の予定です、先づ第一期線として大阪梅田から宝塚まで十五哩三十七鎖及び箕面支線二哩四十四鎖、合計十八哩一鎖だけ開業するつもりです、そして全線複線で阪神電気鉄道と凡べて同一式であります」

「それだけの大仕事が現在の払込金、即ち第一回払込金百三十七万五千円で出来ますか、それとも払込金を取るお考へですか」

「株主が喜んで払込金をする時まで払込を取らなくて屹度開業して御覧に入れます」

 まさしく、小林一三の面目躍如というべき企画である。

 当時、広く社会に会社の事業を公表し、賑やかに宣伝するといった経営者は、ほとんどいなかった。一三自身、このパンフレットをもって、日本最初のパンフレットだと、自負していたという。

 パンフレットの第二弾は、『如何なる土地を選ぶべきか、如何なる家屋に住むべきか(住宅地御案内)』と題されているもので、当初から一三が鉄道事業と不動産事業を結びつける経営形態を目指している事が解る。

『週刊現代』2012年11月24日号より