ドラフト1位で入団しても誰もが輝けるわけではない プロ野球「戦力外通告」と「引退」「男たちがユニフォームを脱ぐ時」

フライデー
北川博敏(40歳)内野手 兵庫県出身。埼玉県立大宮東高―日本大。 '94年、ドラフト2位で阪神入団。 '00年オフ、トレードで近鉄へ。 '05年から球団合併に伴いオリックスへ。プロ通算102本塁打、1076安打

 北川の代名詞といえば、多くのプロ野球ファンの記憶に残るあの一発、'01年の「代打逆転サヨナラ満塁リーグ優勝決定ホームラン」だ。

「あの一発で、ファンの皆さんに名前を覚えてもらえる選手になれた。ただ、『北川って、アレか、あのホームランのヤツか』とだけ思われるのはイヤでした。あの一発では終わりたくない。その一心でこれまでやってきましたね」

 ドラフト2位で入った阪神では思うような結果が出ず、近鉄にトレードされた。

「阪神時代は監督やコーチによく見られたいという気持ちが強く、それが結果に繋がらなかった。6年間お世話になりましたが、もうクビを切られると思っていたので、嫁に『次は野球以外の仕事をしたい』とまで伝えました。移籍した近鉄では、周りにどう見られようが関係ないという思いになれた。ベンチと勝負せずに、相手と勝負できたんです」

 阪神は人気球団であるがゆえ、常にマスコミから注目され、個人が槍玉に挙げられ批判の対象となる。それがない近鉄は北川の性に合った。だが、また試練が訪れる。オリックスとの合併である。

「最初はイヤでしたね。礒部(公一)にしても、岩隈(久志)にしても、オリックスを断って楽天に入ったことで、英雄のような扱いをされていました。そのまま受け入れてしまった僕らに対する世間の雰囲気は、『お前ら、反発する勇気もないんか』でしたから」

 シーズンに入っても、その気持ちを引きずり続け、仰木彬監督の1年目で惜しくもプレーオフ進出を逃してしまう。その時北川はやっと「この仲間でなんとか勝ちたい」と思えるようになった。だが、その後はチームの優勝に恵まれることなく、今年、引退を決意した。

「僕は引退という形ですが、結局、プレーヤーとしては今年で諦めてしまったという思いがある。やれるもんなら1年でも長くしがみつきたいですよ」

 巨人の中谷仁は、この秋、球団に自ら引退を申し出た。'97年、ドラフト1位で阪神に入団。〝古田2世〟と呼ばれ、正捕手として期待されたが、プロ2年目の夏、ある投手が投げた携帯電話が左眼を直撃、失明寸前という不幸に見舞われた。

「今年、僕の同期に当たる高橋由伸さんが1500試合出場を達成しましたが、僕なんて111試合です。ケガから13年間もユニフォームを着ることができた。こんな選手が残っていたことが奇跡ですよ。常にクビと背中合わせ。毎年、来季からはどうしようかという思いでしたから」