ドラフト1位で入団しても誰もが輝けるわけではない プロ野球「戦力外通告」と「引退」「男たちがユニフォームを脱ぐ時」

フライデー プロフィール

 山田の言うとおり、ダイエー入団当初、多くの評論家が「二ケタ勝利は堅い」と太鼓判を押した。その期待に応え、プロ初登板となった近鉄戦で初勝利を挙げた。

「実はキャンプ後半からオープン戦にかけて、調子は良くなかったんです。高まる評価と自分の自信がどんどん離れていった。初勝利を挙げられたのも、たまたま調子が良かっただけ。本当にその日だけ良かったんです」

 この勝利後、自分の思う球が投げられなくなり、プロの壁を初めて感じた。モーションを盗まれ、球種も読まれる。でも直らない。どうしても直せない。やがてすべてのバランスを欠いていく。

「自分に勝てなかったんです。投げ方もグチャグチャになってしまいました」

 鳴り物入りで入団し、将来を嘱望された若者は、どこで躓いたのか。コーチや先輩、救いの手は周りにあったはずだ。

「確かに、いい先輩ばかりでした。でも、悩みを相談したことは一度もなかったですね。言えなかったです。恥ずかしくて。若いうちは投げ方やトレーニング法を押し付けられることもありました。注目されて入ってきている人間は、結果が出なければ、アレをやれコレをやれといろいろな人間に言われますから」

 様々な指導者に素直に従うことで、バランスを崩した。金本知憲はかつて、「指導者でプレースタイルが変わるのは本物のプロではない」と言った。人の意見を聞き流せるかどうか。ここが一流と他の選手との大きな分かれ目なのだろう。

 1年目は結局、2勝のみ。マスコミの評価は地に落ちた。アマとプロ、そのレベルの違いに戸惑いはなかった。ただ、山田はメンタル面での難しさに苦しみ続けた。

「先発ローテに入れば、負け投手になっても中6日でまた投げる。勝っていればいいのですが、負けだすと止まらない。また次があるという状況がとても難しかった。切り替えができなかったんです」

 メンタルの弱さはケガにも表れ始める。'06年に右肘、'07年に左膝を手術した。

「痛みがなくなれば、またあの球が投げられるんじゃないかという一心でした」

 あの球とは、アマチュア時代に記録した153km/h。プロに入ってから、このスピードを超えたことは一度もない。

 34歳。もう遅いのは知っている。自らの生きる道を知る者だけが勝ち残る。それがプロの世界だということを、フィジカル、メンタルの両面で理解した山田は最後のチャンスに賭けている。

 山田が初勝利を挙げた近鉄戦。その試合で山田と対戦したオリックス・北川博敏は、今年ユニフォームを脱いだ。

「彼にヤラれたのは覚えています。まっすぐが速く、スライダーのキレがよかった。少しコントロールが悪かったのが、逆に球を絞らせないという感じでした」