『アメリカを動かす思想』 著者:小川仁志
閉塞感を打ち砕く
「プラグマティズム」という道具

 ただ、他方で共和党に象徴されるような保守主義も有力で、政治の場面では、リベラリズムを標榜する民主党と交互に政権を奪い合っている。これはいったいどうしたことだろうか?今年の大統領選挙でも、いわゆる「ティーパーティー運動」などに後押しされ、保守主義が勢いを増している。

 この現象について、今アメリカは分裂しつつあるという見方もあるが、私はそうは思わない。アメリカには、もっと深いところに、より本質的な思想が通奏低音のごとく流れているのである。

 その思想とはプラグマティズムである。プラグマティズムとは、唯一アメリカで生まれ、アメリカで育ってきた哲学であるということができる。簡単にいうと、うまくいけばそれが正しいとする思想である。だから「実用主義」などと訳される。

 ある結果を達成するのに、AとBの二つの方法があるとしよう。しかし、どちらの方法が正しいのかは、誰にも分からない。そんな時、プラグマティズムに従えば、とにかくやってみるのである。そして仮にBの方法でうまくいったとすれば、それが正しいのである。この場合、Aのほうが理論的には正しいとしても、うまくいかなければ意味がないことになる。

 理論的な整合性など二の次なのだ。従来ヨーロッパで支配的だった思想は、皆真理を求めて論理的整合性ばかりを追求してきた。いわば知識そのものを追求してきたのだ。しかし、その結果もたらされたのは、社会の行き詰まりと衰退であった。二〇世紀、そして二一世紀がアメリカの世紀になったのは、そんなヨーロッパの思想と決別し、知識そのものの追求よりも、知識を実践することに主眼を置いた思想を生み出すことができたからである。

 その立役者が、C・S・パース、ウィリアム・ジェイムズ、ジョン・デューイの三人の哲学者であった。そしてリチャード・ローティやその弟子ロバート・ブランダムといった継承者たちが、ネオ・プラグマティストとして、その後もアメリカの思想界に君臨している。彼らの思想は各々多少異なるものの、知識を実践し、結果を重視しようとする姿勢は共通している。そこで私は、プラグマティズムを知識そのものの追求と区別するために、「知識のあくなき実践」と定義したい。

「知識のあくなき実践」としてのプラグマティズムが、建国以来、DNAのごとく意識されざる形でアメリカ人の根底に横たわり、アメリカ社会を動かしているというのが私の主張である。では、リベラリズムやそれに対抗する保守主義、あるいはキャピタリズムといった思想はどのように位置付ければいいのか?