[プロ野球]
田口壮×二宮清純<前編>「イチローのレーザービーム、ここがすごい!」

ワールドシリーズ、日本シリーズ特別対談
スポーツコミュニケーションズ

ID野球という言葉に振り回された

二宮: 同じく16勝をあげたのがヤンキースの黒田博樹です。チームはリーグチャンピオンシップで敗退しましたが、彼がいなければヤンキースは地区優勝すらできなかったと言える働きぶりでした。
田口: メジャー2年目にツーシームを覚えたのが大きかったですね。彼のツーシームは例えるなら落ちるシュートボール。右バッターのアウトサイドのボールゾーンからストライクに入れてくる。

二宮: いわゆるバックドアですね。
田口: 僕と対戦した時にも、このツーシームばかり投げてきましたよ(苦笑)。イメージをしていないと手が出ないから、簡単にカウントが取れる。左バッターにはヒザ元へ落ちるシンカーで空振りがとれますし、ツーシームを覚えたことでピッチングの幅がすごく広がりました。

二宮: 田口さんが初めてポストシーズンの試合に出たのはオリックス時代、1995年のヤクルトとの日本シリーズ。あの年は1月に阪神大震災があり、「がんばろう KOBE」を合言葉にリーグ優勝を飾りました。
田口: 震災の時は正直、「死ぬな」と覚悟しました。マンションの10階の自宅で寝ていて、建物が折れるんじゃないかと思うほど揺れましたからね。野球なんて、もう無理だと思いましたよ。2月のキャンプには行ったものの、神戸に戻ってきても街中はまだ建物が壊れたままでしたから、野球どころではないという気持ちでした。

二宮: ただ、開幕すると、復興の歩みに合わせるかのようにオリックスは快進撃。まさに被災地を勇気づける優勝になりました。
田口: あの時はファンの人の気持ち、願いの強さに導かれた優勝でしたね。僕たちが持っている力以上のものを引き出してくれた気がします。「願えば叶う」という言葉は本当なんだなと実感しました。

二宮: ところが残念ながら日本シリーズでは野村克也監督率いるヤクルトに1勝4敗で負けてしまいました。野村監督は開幕前、「イチローの弱点は内角高め」とか、かなり“口撃”を仕掛けてきましたね。
田口: あの時は完全に“ID野球”そのものよりも、“ID野球”という言葉にやられてしまった印象です。“何をしてくるんや?”とこちらがいろいろ考えすぎて振り回されてしまった。よくよく考えれば、もともと弱点は分かっていることなので、自分たちがそれらを把握していれば、どんな手を使ってくるかは見えてくる。相手の作戦に乗ってしまった時点で僕らの負けでしたね。