山中伸弥の教授「青春フォト&爽快秘話」
ノーベル賞受賞に日本中が沸いた!

フライデー プロフィール

「中高時代から、彼は本当に堅物で真面目な男でした。決定的に変わったのは、アメリカに留学してから。ジョーク好きになった。人間が一回り大きくなって、驚いてしまった記憶があります」

 また、こんな豪快エピソードも。

「ビール党で、一晩に大瓶1ダース飲んだこともある。店にあるだけの唐揚げを注文しちゃったこともある」(世耕氏)

 京都大学大学院理学研究科教授の阿形清和氏は、10年前にイギリスのエジンバラ大学の学会で、初めて山中氏に会った。

「気さくな人で、驕ったところがない。発表には、必ずユーモアを織り交ぜる。彼はまた、その発表で、自分で見つけた万能細胞に、ライバル研究者が別の名前を付けて発表したのに、容認してみせた。そういう度量の広さもあります」

 今回の受賞は、肝細胞や神経など様々な細胞になる能力を持ったiPS細胞(人工多能性幹細胞)を作り出したことが高く評価されたもの。iPS細胞は、今後新薬の開発や再生医療の実現に応用される可能性がある。

 山中氏の父親は東大阪市でミシン部品製造の工場を経営していた。尊敬してやまないその父親が、彼が26歳の時に亡くなった。母親は80歳を過ぎて存命だ。平田氏によると、山中氏は、

「ノーベル賞なんて獲れんでもかまへんねんけどな、もし獲れるんやったら、母親が生きているうちに獲りたい。ほんで、天国で父親に報告してもらいたいんや」

 と話していたという。

 難病治療への新たな研究成果が花開く日が待ち遠しい。

高校時代にフォークバンド「枯山水」を結成!

 9日の会見で夫を見つめる知佳夫人のまなざしが熱かったが、二人は中高一貫校で同級生だった。中2の時に同じクラスになったことがある。ある同級生によると、「何となく、中学時代から二人が好意を寄せ合っているのは分かった」。そして、高校時代から交際がスタートしたという。その後、別の大学に進んだが、一途な恋を成就させ、24歳の時に結婚。

「結婚式は盛大で驚いた」(世耕氏)

 上写真2点は、高校の卒業アルバム。着流し風にバスタオルを羽織る山中教授は、当時「モテモテの秀才君だった」(同級生)。高校ではフォークバンド「枯山水」にも参加し、ベースを担当するシブいセンスも持っていた。知佳さんはESSに所属。今は親の後を継いで、皮膚科の開業医として活躍している。最近の口癖は「すっかり、大阪のおばちゃんよ」だという。