第7回 ヘンリー・フォード(その一)
自動車の発明---
アメリカ国民に「移動の自由」を普及させた

福田 和也

 そして、フォードは社会を、文明を根底から覆したのである。その革命は、全世界の自動車メーカーに引き継がれ、今日も自動車がもたらす自由な移動という恩恵を与え続けている。

 ヘンリー・フォードは、一八六三年七月三十日に生まれた。奇しくも同年、若きジョン・ロックフェラーが、クリーブランドで石油精製会社を興している。

 その父、ウィリアム・フォードは、アイルランドのコークに生まれたが、アイルランド人ではなく、イングランド人であった。

 ウィリアムは、当時まだ準州だったミシガンのディアボーンに移住した伯父たちを頼りに、一八四七年、大西洋を渡り、八十エーカーの農地を手に入れた。そしてウィリアムは、オランダ系アメリカ人のメアリ・ライトゴットと結婚、二年後、ヘンリーが生まれた。

 少年時代から、ヘンリーのエピソードは、機械装置に結びつけられている。書字は苦手だったが機械となるとお手の物で、十三歳の誕生日にプレゼントされた懐中時計を分解し、その機能を完全に把握し、近所の時計を無料で修理したという。だが一方で、農作業を嫌い、農地に執着する父に反発し、十六歳の時に家出、デトロイトに赴いた。

 当時のデトロイトの人口は十一万。北米を代表する工業地帯だった。

 ヘンリーは、バルブ製造工場に雇用されたが、見習工としての賃金は安く、宝石店で夜中に時計修理のアルバイトをして、凌いだ。

 ヘンリーは、懐中時計製造の会社を設立しようと夢想したが、懐中時計は所詮、必要物ではない、一般の人は、買わないだろう、と考えてその計画をとりやめた。富裕な人々ではなく、大衆を顧客として考える、フォードの価値観が早くも芽生えた、と見るのは、贔屓の引き倒し、ということになるだろうが・・・・・・。

『週刊現代』2012年10月27日号より