プロ野球深層レポート これが「野村克也ノート」の核心だ
巨人の橋上秀樹コーチ、日ハムの栗山英樹監督、ヤクルトの小川淳司監督みんなあの人の教えを受けていた

週刊現代 プロフィール

 と語る。そこには'90年、栗山監督がヤクルトで過ごした現役最後の1年間での経験が深く影響している。

「ボロクソ言われた。まるで相手にされてなかった」

 栗山監督は以前、野村氏について、本誌の取材にこう答えている。

「意識していなくても、ベースとして僕の中にある」

 とも語った。歯切れが悪いのは、苦い記憶が理由だ。

 '88年に規定打席未到達ながら打率3割3分1厘を記録、'89年にはゴールデングラブ賞も受賞していた栗山を、野村監督は、代走や守備固め要員として使ったのだ。

「栗山さんは、そのオフを待たず引退を決めた。右ヒジのケガやメニエール症候群の進行も原因でしたが、何より使ってもらえませんでしたから。野村さんは、栗山さんだけでなく、池山(隆寛)や(長嶋)一茂ら、人気先行の選手に厳しかった。栗山さんも、甘いマスクや学芸大出身という異色の経歴で、実力以上の人気選手。目を付けられた」(当時のヤクルト担当記者)

中心なき組織は失敗する

 釈然としない思いを抱いたまま解説者へと転向した栗山監督は、ある時期、徹底的に野村氏の野球理論を頭に叩き込んだという。

「引退の2年後にヤクルトはリーグを制すると、野村さんは以降の5年で3回も日本一になった。自分と同様に野村に起用されなかった同僚たちが、野村野球に傾倒していく様を見て『焦り』を覚えた。ヤクルトの元同僚からノートを借りて、野村克也のミーティングを必死に分析していた時期もある」(スポーツ紙記者)

 栗山監督の21年間にわたる解説者生活は、「野村の教え」を、自らの野球観と折衷させる時間でもあった。

「栗山監督は、野村さんのいいところも悪いところも見習っている」

 と指摘するのは、日ハムOBの岩本勉氏だ。

「ノムさんはメディアを使って選手の操縦をしました。その後に一人ひとりを呼んで、刺激を与えていた。栗山さんは、直接ズバッとコミュニケーションを取る」

 かつて野村ヤクルトでも主力として戦い、今季ベテランとして若いチームを牽引した稲葉篤紀は、栗山監督とシーズンをともにした印象を、こう語っている。

「我々を不安にさせない人。今まで仕えた5人の監督の中でも、あれほど選手と話す監督はいない。毎日必ず、全員に声をかけた。選手が監督の顔色を窺って自分からは話しかけづらいことをよく理解してくれる」

 それが生きたのが4番打者の育成だった。