ヒトはなぜ眠るのか、研究したら30年にわたる「新鮮な感動」が!

睡眠学のなりたち
井上 昌次郎

さらに、睡眠研究の進歩を促した発見がいくつかありました。活動優位の時間帯と休息優位の時間帯とが、ほぼ一日周期でくりかえされるのは、生命体に生まれつき具(そな)わる基本現象であることがあきらかになりました。これを概日リズムまたは生物リズムといいます。睡眠と覚醒はこのリズムに大きく左右されます。

やがて、概日リズムの発信源となる生物時計(体内時計)が見つかり、その基本部品である時計遺伝子が特定されるにいたりました。睡眠の起源や進化についても、そこから大きな手掛りが得られつつあるのですね。

一方では、体内や外界の諸条件に応じて、各種の「睡眠物質」が脳内に生成され、睡眠を調節することがわかりました。ご承知のとおり、各種のホルモンは血液を介して、全身に特定の情報を伝達しています。ちょうど同じように、睡眠物質は脳脊髄液を介して、中枢神経系に睡眠・覚醒の信号を伝えているのです。

いまでは、睡眠物質の生成にかかわる遺伝子を欠損させたり、過剰に発現させたりした実験動物が導入されて、睡眠調節にかかわる一連の分子たちの動態が克明にわかってきました。

ちなみに、私の専門は睡眠物質の探究であり、1970年代から2001年にかけて、じつに新鮮な感動をつぎつぎに味わえる発見時代を体験したのです。

眠りの学問は、このような成果を踏まえて、急速に進歩し拡大し、睡眠学として世間に認知されたわけです。学術としての実績が上がったから、ということになりましょう。

それだけではありません。重要な背景があったからでもあるのです。

つまり、高度技術社会の到来でストレスや不眠が増大し、世間一般が睡眠に切実な関心を払うほかなくなり、睡眠学の成育を後押ししてくれたのですね。

冒頭に紹介した拙著の初版は、睡眠の全体像が見え始めた頃の1994年に、それをスケッチしたものです。これを読んで目からウロコが落ちた、と当時の朝日新聞に書評してくださった碩学がおられます。

増補されて再出発した学術文庫の新装版に対しても、読者の皆さんが同じように思っていただけたらと願いつつ、いまや一介の老骨に過ぎない著者は幸せな達成感に浸っております。

(いのうえ・しょうじろう 東京医科歯科大学名誉教授)

 
◆ 内容紹介
進化の過程で睡眠は大きく変化した。肥大した脳は、ノンレム睡眠を要求する。睡眠はなぜ快いのか? 眠りの機能とは? 大脳と睡眠、身体と睡眠の関係、睡眠にまつわる病気、睡眠と冬眠の違い、睡眠を司るホルモン、体内時計の働き、短眠者と長眠者の謎、科学的な快眠の秘訣……。最先端の脳科学で迫る睡眠学入門の決定版。最新の知見と新規文献も充実。
 
◆ 井上昌次郎(いのうえ・しょうじろう)
1935年ソウル市生まれ。東京大学大学院生物系研究科博士課程修了。理学博士。東京医科歯科大学教授を経て、現在、同大学名誉教授。元世界睡眠学会連合理事。専門は、脳科学・睡眠学。著書に『眠りを科学する』『眠る秘訣』など多数ある。2014年瑞宝中綬章受章。2018年逝去。