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ヒトはなぜ眠るのか、研究したら30年にわたる「新鮮な感動」が!

睡眠学のなりたち

内心の惛暗なるを、名づけて睡となし、五情の暗蔽にして支節を放恣し、委臥し睡熟するを、名づけて眠となし、この因縁をもって名づけて睡眠の蓋となす。
……睡眠の因縁をもって一生をして空しく過ごし、所得なからしむることなかれ。
──天台大師智顗(ちぎ)『天台小止観』(6世紀)

おお寝坊ものよ、眠りとは何であるか?
眠りは死に似たものである。おお、それではなぜおまえは、生きながらいやな死人に似た眠りをむさぼるのをやめて、死後に完全な生き姿をのこす作品をこしらえないのか?

──レオナルド・ダ・ヴィンチ『手記』(16世紀)

あの穢れのない眠り、もつれた煩いの細糸をしっかり撚(よ)りなおしてくれる眠り、その日その日の生の寂滅、辛い仕事のあとの浴(ゆあ)み、傷ついた心の霊薬、自然が供する第二の生命、どんなこの世の酒盛りも、かほどの滋養を供しはしまいに。
──ウイリアム・シェイクスピア『マクベス』(1606年)

むかしから、睡眠はさまざまなとらえ方をされています。右の先達たちも、それぞれ異なるお考えを表明されているようですね。現代科学の立場からみると、正鵠を得ているのはどなたのご説でしょうか。

即答すれば、それぞれに「一理ある」となるでしょう。こんなにも違う見解に対して、なぜそんなふうに結論できるのか、話せば長くなりそうです。

ゆっくり根拠を聴いてくださるのなら、講談社学術文庫にこのたび仲間入りした拙著『ヒトはなぜ眠るのか』をごらんください。ヒントがあちこちに見つかるはずです。

ここでは、核心に迫るつぎの三点を指摘しておきます。天台大師は、眠りに二種類の状態がある、と喝破しています。ダ・ヴィンチは、睡眠は意思によって制御できる、と主張しています。シェイクスピアは、一日周期の眠りが心身を保全する、と要約しています。

眠りはいわば巨像をかたちづくり、さまざまな視点からさまざまな姿が見えます。それゆえに、その実体についての見解はさまざまでした。

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こうした睡眠の特殊性・多面性を学際的・統合的に探究して、精密な実像を描こうとする学問があります。睡眠学です。まともな学術領域として正式に学界から認知されたのは、ついこのあいだの新顔です。