第11回はこちらをご覧ください。
分業と資本蓄積が「富」の増産(経済発展)に必要だと考えると、それらを阻害したら、経済発展はスムーズに実現しないことになります。
では、何が阻害要因で、どうしてそれが阻害要因となると考えていたのか?
これに関するスミスの考えを見ていきます。
分業を阻害するものを考えるにあたって、まず「分業を成立させるもの」を考えます。
つまり、「なぜ人は分業する/できるのか?」です。
こう問いかけると、「人が分業をするのは、生産効率を上げるため」と考えると思います。「生産効率を上げる目的で分業をする」ということですね。
しかし、スミスに言わせると、それは正しくありません。
たしかに分業によって生産性が上がるのは間違いありません。しかしスミスは、人間は最初から生産性を上げることを狙って、意図的に分業を始めたわけではない、としています。つまり「分業ありき」ではなかったのです。
人が分業をするのは、自分で作った商品を交換する場、つまり「市場」があるからとスミスは考えていました。要するに、「市場があるから分業が始まる」「市場で取引ができるから、結果的に社会に『分業体制』が広まっていく」と考えたわけです。
どういうことか?
一般的には、「各自が分業して違うモノを生産しているから、交換が発生する」と考えがちです。もともと各自が分業していて、自分で生産できるものが違うから、それを交換するために、市場ができあがったと考えても理屈は通ります。
世の中が成熟していく過程として、自給自足の世界から、自分が作ったものと相手が持っているものを交換する交換社会に進化していきます。
海に住む人は魚ばかりを食べていた。山に住む人はイノシシばかりを追いかけていた。その2人が出会って自分たちが持っているものを交換した。こう考えると、最初に分業体制があって、その分業の結果、自分と違うものを持っている人と交換するようになった、とイメージします。
ところが、スミスはそうは考えませんでした。「分業」と「市場成立」の因果関係は逆だと考え、「交換の場があるから、ある特定の商品に特化できるのだ」としたのです。
それはこういう理屈です。
人間の生活で最初に考えなければいけないのは、「自分が生きてく上で必要な物の確保」です。それがなければ生きていくことができません。だとしたら、何よりも先にその「生活必需品」を確保したいと思うはずです。
逆にそれらを確保できるという確信がなければ、単一の商品に専念する、ましてやピン工場の「ライン労働者」になろうとは思いません。つまり、自分が必要な商品はあとから交換で手に入ると確信しているため、分業が成立するのです。
経済が発展する前は、海辺で魚ばかり、山でイノシシばかり食べていた人もいました。しかしその人たちは、単純に「魚だけ」「イノシシだけ」で生活できていたのです(実際には、洋服や家も自分たちで調達していたはずなので、単一商品の生産に特化していたわけでもありませんが)。
そして、この自給自足している2人が出会った結果、お互いの魚とイノシシを交換したらもっと生活がよくなるのでは? と思って交換しただけなのです。
交換の場が発展すれば、いろんなものが手に入るという安心感が出てきます。その結果、「自分で全部作る必要はない」という感覚が生まれてきます。そして、食べ物以外に、洋服のみを作る、さらには「ピン」のほんの一部の製造過程だけを担当することができるようになるわけです。
逆に、もし交換の場がなければ、どうなるでしょう?
仮にわたしたちの生活の中で、他人が持っている商品と交換できないかもしれないとなったら? その場合には、生活必需品を全て自前で確保しなければいけないと感じるでしょう。「生産効率を高めるために分業する」という発想はしなくなります。つまり、交換ができなければ、分業が成立しなくなってしまうのです。
戦争や大規模な自然災害など、社会が混乱した時にみなさんが考えるのは、「なんとかして必要なものを自分で確保しよう」ということだと思います。そんな状況では、いつ、誰が、取引に応じてくれるか分かりません。そこでは「あなたは洋服担当、私は傘を作るわね。食べ物は別の誰かに作ってもらいましょう」などと、悠長に考えていられません。「分業している場合ではない」のです。
要するに、分業が成立するためには、「商品を交換する市場」が存在していなければいけないのです。つまり、分業は「市場ありき」なのです。
「交換できる場があること」が、分業の前提条件になるのです。いつでも自分がほしいものが妥当な値段で手に入るとみんなが感じていれば、「だったら一人で全部作る必要はない」と考えます。「分業」するための前提条件が整うのです。これがスミスの理論の根底にある考え方でした。
そして、これがスミスの自由競争の考えにつながるのです。