栗山英樹(日本ハムファイターズ監督) 小手先の技術より、最後の勝負は「愛」だよ

二宮清純レポート
週刊現代 プロフィール

野村監督からの「仕打ち」

 現役時代、栗山はメニエール病を患っていた。突然、目まいや立ちくらみを覚え、立っていられなくなるのだ。3年目のオフには長期入院を余儀なくされた。

 ヤクルト時代の先輩・杉村繁の話。

「ある時、練習に来ないので"クリはどうした?"と聞くと、誰かが"朝起きたら目まいがする"と。それで練習後、本人に"大丈夫か?"と聞くと"目が回ってちゃんと立てないんです"と言っていました。

 二軍の試合中、目が回ってフラフラになりながら、タイムをかけ、途中交代したこともあったと聞きました。疲れがたまると良くなかったみたいですね。ただ、彼が立派だったのは、そういう病気を言い訳にしたり、弱音を絶対に吐かなかったこと。いつも、ひたむきに野球をやっていましたよ」

 病魔と闘いながら、必死になってプロで生き残る道を模索した栗山だが、その姿勢は野村の目には留まらなかった。

 '90年はわずか69試合に出場したのみ。打率も2割2分9厘と精彩を欠き、29歳の若さながら、このシーズンを限りにユニホームを脱ぐ。

「最終戦の数日前のことだったと思います……」

 こう振り返るのは栗山を「アニキのような存在」と慕う笘篠賢治だ。彼も野村政権下で不遇をかこった選手のひとりである。

「練習中、突然、クリさんが"オレ、今年でやめるから"と僕に言ったんです。驚いた様子をみせると、"誰にも言わないでね"って。

 忘れもしない10月10日、横浜スタジアムでの最終戦。9回の攻撃で2死からクリさんがネクスト・バッターズ・サークルに入った。ひとり走者が出れば打席が回ってくる。僕は"何とかクリさんに回してくれ"と願いました。最後の打席を花道にしてもらいたかったんです。しかし残念ながら打席は回ってこなかった。

 試合後、ベンチ裏で他の人に気づかれないように"お疲れ様でした"と声をかけると、クリさんは目を細めて"ありがとう"と。あの、さわやかな笑顔は今も心に焼き付いています」

 シーズン終了後、引退の挨拶に行くと、野村は腕組みをして、こう言った。

「もったいないなぁ……。オマエみたいな使い勝手のいい選手がウチには必要なんや」

 栗山の心中は複雑だった。