ロンドン五輪「感動秘話」 金メダル・内村航平「ここが勝負の分かれ目だった」

松本薫(柔道金メダル)、三宅宏実(重量挙げ銀メダル)、寺川綾(水泳銅メダル)ほか
週刊現代 プロフィール

「最後にタッチするとき、平井先生の顔が思い浮かびました。『タッチしっかりやるんだぞ』と、何回も何回も言われてきたので……」

 試合直後の寺川は、しゃくり上げながら、ゴールの瞬間をこう振り返った。

 近畿大学在学中の'04年、アテネ五輪に19歳で出場。200m背泳ぎで8位となり、北京五輪でのメダルが期待されたが、代表落ち。この挫折こそ、彼女の転換点だった。恩師である近大水上競技部の田中穂徳監督が述懐する。

「北京の代表選考レース後、関係者に『長い間、お疲れさま』と言われ、それは酷い落ち込みようでした。それまで彼女のモットーは"楽しみながら泳ぐ"だったんですが、落選を機に変わった。水泳選手としてはベテランに差し掛かる20代半ばにして、大きく水を掻くフォームに改造したのも、覚悟の表れでしょう」

 北島康介を育てた平井コーチの門を叩いたのも、自分を変えたかったからだ。

「僕は最初、『こういう選手とは付き合えないな』と思った。取材などでやたらと『やめる』と口にする。途中でやめるぐらいなら、早くやめてくれないかなと思ってましたね。指導した際に『でも、あのときは……』と言い訳するのも気になった。失敗の引き出しが多かったんです」(平井コーチ)

「もうやめていいぞ」「荷物まとめて帰れ!」

 平井コーチに怒鳴られ、「はい、そうします」とプールを飛び出したのは一度や二度ではなかった。

「平井さんがそんな彼女を見捨てなかったのは、『コイツはまだ伸びる』と信じていたから。『一度だけでいい。俺を信じてついてきてみろ』と言われ、寺川は容赦のないスパルタトレーニングに耐えた」(前出・臼北氏)

 カヤックをパドルで漕ぐ練習では「1ヵ月前に着られたジャケットが入らなくなった」(寺川)ほどに肩幅が逞しくなってしまったが、筋力は増え、ストロークのタイミングが改善された。寺川は、「キツすぎる」と漏らすほどの猛練習を積んだ。

 平井コーチが言葉を継ぐ。

「『おまえ、変われるよ』と口で言ってもダメ。『五輪に出られそうだ』というところまで状態を上げてやらないと、人は変われないんです。トレーニングを経て、彼女は良くなった。そして人間が変わったのです」

 決勝の後、寺川はこんな言葉を残している。

「メダルは……いろんなことが詰まりすぎていて重いです」