米国発の「市場主義経済学」では、いまの危機は解決できない!
『経済学の犯罪』著者・佐伯啓思インタビュー

── 日本でもその影響が大きかったようですね。

佐伯 日本の場合、「思想」としての経済学であるマルクスが社会主義の退潮とともに衰退し、「科学」としての市場主義経済学が勝利したということになりました。本当は市場主義経済学もまた特定の思想背景を持っていることが忘れ去られている。

── 本の中でも、いまでは市場主義経済学の始祖のような捉え方をされているアダム・スミスをきちんと読むと、市場主義と違うことを書いている、むしろ当時の重商主義──いまでいう市場主義──の考え方を批判しているという指摘がありましたね。

佐伯 それが市場主義経済学が「科学」として「教科書」になってしまったということなんです。教科書になっているということは、今日の経済学は現状でいえばある意味「完成品」ということ。そうすると以前の経済学はまだ未完のものということになる。

 アダム・スミスなども、たしかに市場主義的な部分も持っているので、未完成の市場論を多少は展開したことになる。その後リカードが出て、ワルラスが出て、ケインズはたしかにそれに異を唱えたけれど、その後ケインズを乗り越え、だんだん理論が精緻になってきていまの経済学になったという説明がなされるわけです。一種の知的な進歩史観ですね。市場主義経済学の進歩史観です。

── 教科書的な「正しい」経済学に沿って、先人たちの仕事も整理されてしまうというわけですね。そうすると、あとから学ぶ人にとっては、それが「正しい」こととして考えの枠組みがそこから離れられなくなってしまう。ところが実際はその「正しい」経済学というのもまた、ある思想的な「価値」を背景としたものに過ぎない。

佐伯 経済学はやはり自然科学などと違い、価値判断が入ってくる学問なんです。市場主義経済学はあくまでアメリカ社会の価値が入っている経済学なんです。アメリカ的な能力主義や効率主義が当然のことになっている。本来は、私たちは最初に価値の選択をすることが大事なのであって、それが効率なのか、余裕のある生活なのか、文化的なものなのか、こうした価値を選択することが大事で、そこからどのような経済学を選択するかが決まってくるんです。

 ですからいまの市場主義経済学は、アメリカ型の自由市場で競争をして効率性が第一だという価値を選択しているだけ。しかもアメリカはその経済学をすでに論証されている「科学」、自然科学のような科学であると言っているだけ。そこは疑ってかかったほうがいい。

── その前提が疑われなくなってしまうと、いろいろな問題も生じてくるわけですね。

佐伯 たとえばケインズ派とシカゴ派の大きな違いは、需要側から見るか、供給側から見るかです。成長は無限に可能と見るのはシカゴ派でとにかく供給能力を高めればオーケーだと考える。一方ケインズ派は需要が問題と考える。だから需要が伸びないときに供給能力を高めてもデフレ圧力が高まるだけ。