ドイツでオリンピックを見ていたら、かなり欲求不満になった。日本の選手が見たいのに、当たり前だが、全然出てこない。開会式で、次が日本チームだと目を凝らすと、パッと画面が変わる。毎度のこととはいえ、いつもがっくりくる。外国でオリンピックを見る者の宿命だ。
競技は、日本チームが上位にいても、ドイツに関係がなければ必ずしもフォローされないので、日本選手がどこで何をしているのかがわからない。
一方、日本がドイツと対戦している時には一部始終がわかるが、ただ、この場合は、癇に障る解説の言葉をずっと聞き続けなくてはいけない。こちらが、「まずい!」と思った瞬間に、ドイツ人の解説者は「やった! その調子!」と言うし、こちらが「やった! 行け!」と思うと、「日本人はずいぶんナーヴァスになっているようだ」などと的外れなことを言って牽制したりする。仕方がないと思いつつも、腹が立つ。やはり、オリンピックは自国で見るに限る。
もっと腹の立つこともある。男子平泳ぎの準決勝を見ていた時のこと。選手が会場に現れるゲートに、国の名前が電光で表示される。オーストラリア、アメリカと1人ずつ登場し、それをアナウンサーが順番に紹介していく。ところが、最後の2人は日本人のはずなのに、そのシーンがない。
「あれ、どうした?」と思ったら、映像が各選手の準備の様子に切り替わった。驚いたのは、スタートの直前になってアナウンサーが、「あ、まだ日本の選手2人を紹介していませんでした」と言ったことだ。そして、おまけのように2人の名前を読み上げたが、「タテイシ」は「タテイシャ」になり、カメラはその姿を追うこともなく、競技が始まった。
しかし、競技が始まっても、日本の選手は写らなかった。ビリにいるのならそれもわかるが、2人は始めのうち、ずっと上位につけていたのだ。それでもカットは他の国(ドイツではない)の選手ばかり。日本の選手は全体図の中で小さく見えるだけで、アナウンサーが途中で一度、「日本人たちがこのペースを保てるかどうか」と言った。しかも、競技後も、2人はついに写らなかった。立石と北島を、ここまで無視できた理由がよくわからない。決勝では、立石はこの種目で銅メダルを取ったのだ。
もう一つ気になるのは、アナウンサーが日本人の名前を言わず、ほとんどいつも「日本人」とか、「日本人たち」で済ませていることだ。ロシアや東欧の舌を噛みそうなややこしい名前はちゃんと覚えるくせに、なぜ日本人の名前を覚えようとしないのか?
フェンシングでは、準決勝でドイツと日本が接戦になったので、ほぼ全試合が中継されたが、解説者は、ドイツ選手のことは苗字で、日本選手はたいてい「日本人」で済ませていた。体操もしかり。失礼だ。
外国人の名前を覚えるということは、ときに努力を要する。だからこそ、その努力をするかどうかが、相手に対する敬意の度合いの指針になることは多い。外国で暮らした人なら誰でも経験があると思うが、何度も会っているのに、「あなたの名前、難しくて覚えられないの。ごめんなさい」とシャーシャーと言う人は、たいてい誠意のない人だ。私は、ややこしくても、会う人の名前だけは覚えてから出かける。
ドイツでは、「こんにちは」や「こんばんは」の後には、必ず「○○さん」と名前を付ける。お医者に行っても、「こんにちは、カワグチ・マーンさん、今日はどうしました?」と始まる。私の名前、カワグチは、ドイツ人にとって必ずしも覚えやすい名前ではないが、名前を覚えないのは失礼になる。だから、医者も直前にカルテを見て、確認するのだと思う。
後ですぐに忘れても、それはそれでいい。いずれにしても、私の名前をいつまでも覚えようとせず、他の人に私のことをいうときには、「あの日本人」で済ませるドイツ人がいるなら、私はその人とは付き合わないだろう。
なお、体操の解説者は、内村の名前、コウヘイを、いつも「コウハイ」と言っていた(ニュースのアナウンサーはちゃんと発音していたが)。ドイツ語では「ei」の発音が「アイ」になるので、ドイツ人はよくこの間違いを犯すが、オリンピック選手の名前の発音ぐらい、事前にチェックできないものか?
私たち日本人も、しばしば外国人の名前を間違って発音するが、それは、私たちの口がその発音を正しくできないだけで、いい加減に言っているわけでは決してない。何度も間違った名前を聞かされると、日本人の名前などどうでもいいと言われているようで、とても嫌な気分になる。