「句作をやめれば釈放してやる」---
交換条件を拒否し、獄中で書き続けた
近代の俳人Vol.7

vol.6はこちらをご覧ください。

 自由律に拠った俳人たちは、治安維持法違反の廉で、何度か検挙されている。

 この連載で取り上げた西東三鬼らが属していた『京大俳句』は、昭和十五年二月、同人が検挙され、五月には『俳句生活』に拠る関東在住の自由律俳人も検挙された。

 高浜虚子を筆頭とするオーソドックスな俳人たちが、弾圧らしい弾圧をまったく受けていないのにたいして---『ホトトギス』の主要な同人たちに、皇室の産婦人科医であった水原秋桜子や住友財閥の役員だった山口誓子など社会的地位が高いメンバーが多かった事もあるのだろうが---前衛的な俳人たちが辿った道のりは、余りに険しすぎるように思われる。

 関西における西東三鬼、秋元不死男、平畑静塔、渡辺白泉らと同様に、あるいはより厳しく弾圧を受けたのが、栗林一石路、神代藤平、横山林二ら関東の俳人たちであった。

 なかでも、橋本夢道は、関西における三鬼に匹敵する存在だと云い得るだろう。

 以下、殿岡駿星氏の『橋本夢道物語』に拠りつつ、夢道の軌跡を記す。

獄中句。「うごけば、寒い」

 橋本夢道は、明治三十六年四月十一日、徳島県名東郡北井上村に生まれた。

 五男二女の三男で、家は貧しく、尋常小学校を卒業すると藍玉問屋、奥村商店の住込の丁稚になった。

 十四歳で、奥村の東京支店に抜擢された。

 東京支店は深川にあった。深川には日比谷に続いて建てられた二番目の市立図書館があり、夢道は休日となれば図書館に行き、新聞、雑誌、小説を濫読したという。

 図書館で『萬朝報』を読み、荻原井泉水の句に触れて、その同人となった。

 低い山山の頂きを見とうしている画の平かなすすき咲く道

 という破格な作品を早くも披露している。

 三年間の兵役を経て、奥村商店に復職したが、ここで人生の転機が訪れた。

 俳句を通して出会った荻田静子と交際するようになったのである。

 奥村商店では、支配人の許可なく交際したり、婚約する事を禁止していた。独身の店員は、主人や支配人が、取引先などから結婚相手を選ぶ事になっていたのである。

 昭和四年、静子は妊娠し、夢道は店に内緒で深川区役所に婚姻届けを出した。

 静子にたいする、夢道の、手放しとも云うべき愛情、愛着の濃さは、俳句という、枯淡を由とするジャンルでは異例とも云うべき、熱を帯びている。

妻よおまえはなぜこんなに可愛いんだろうね
ふたりで死ねる心であったふたりが生きている冬が来ている

 内密で婚姻していた事、プロレタリア俳句に携わっていた廉で、夢道は解雇された。

 失業した夢道は、林二の紹介で銀座の輸入雑貨店、「ウィステリア」に就職する。

 当初、店の売り上げは順調だったが、戦時統制により欧州からの輸入が途絶えてしまい、経営が行き詰まってしまった。

橋本夢道 夢道(1903~74)は、「あんみつ」を考案して銀座の甘味店で大成功したといわれる

 夢道の打開策は、奇抜なものだった。

 銀座の甘味店「若松」が、女性の人気を得ていることに着目したのである。

 当時の甘味店は、十五席程度の規模だったが、夢道は、五十人ぐらいが入れる広い店舗をだし、みつ豆を大きな硝子の器に入れ、フルーツや餡を載せた、豪華なものとした。

 店名を「月ヶ瀬」と決め、『電通』に依頼して、市電の全車両に中吊り広告を出した。

「銀座の味・月ヶ瀬」
みつまめをギリシャの神は知らざりき
君知るやこのみつまめの伝説を
  あんみつ豆
  いちごみつ豆
  純粋のしるこ

 「月ヶ瀬」は大成功を収めた。銀座五丁目のビルに三百席という規模---勅使河原蒼風の巨大な活花が話題を呼んだ---の二号店を出した。

 昭和十六年二月五日未明、橋本夢道は治安維持法違反容疑で逮捕された。

 リヤカー二台分ほどの蔵書が、押収されたという。蔵書は結局、一冊も返ってこなかった。

 月島署に勾留された夢道は、今後、俳句、評論等を書かない由の上申書に署名すれば、釈放するという条件を特高に提示されたが、拒否した。

 拷問等は受けなかったが、勾留は続いた。

大戦起るこの日のために獄をたまはる
うごけば、寒い
足かけ九年宮本顕治はここにいる私の房の前
妻の手紙は悲劇めかずに来てあたたかし

 昭和十八年三月、夢道は保釈された。

 夢道は、妻が窃かに差し入れてくれた紙石盤に、獄中句のほとんど---三百句---を記して、持ち出す事が出来た。

 出所した後、夢道は、「月ヶ瀬」の共同経営者にたいして、銀座の一等地を買っておくように助言したという。

 東京が空襲の脅威にさらされ、商店主たちは、土地を売り急いでいた。

 終戦を、疎開先の徳島でむかえた。

 二十一年五月に上京し、新俳句人連盟の結成に参加している。

無礼なる妻よ毎日馬鹿げたものを食わしむ
妻の留守に押し入れをのぞき驚き飢餓日記
生きて死んだような勇気がいる生活の前後ろ

 「俳句は、民族の正統なる詩でなければならない」と、橋本夢道は書いている(『無禮なる妻』)。この場合の「民族」という言葉は、共産主義、社会主義の用語としての「民族」だ。野間宏は、夢道の言葉を敷衍して「俳句を民族の文学として新しくきたえ直そうとする大きな願望と不屈の自信がある」と云っている。

 たしかに俳句は、日本の文芸のなかでも、もっとも独創的なジャンルではあるが・・・鼻白む思いもないではない。

「週刊現代」2012年8月11日号より

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら