[陸上]
鈴木雄介(富士通)<後編>「メダルを目指し、一歩ずつ」

スポーツコミュニケーションズ

失ったアドバンテージ

 テグ大会では、レースまでのトレーニングの出来に納得できない日もあった。その点で「まだまだ出し切れていない大会」と鈴木は語る。「長い準備期間を使って、五輪には今までで最高のパフォーマンスをできる状態に持っていこう」。これが最大のテーマだった。帰国後、ロンドンへ向けてトレーニングする日々が始まった。全日本実業団陸上(9月)と国民体育大会(10月)に出場し、順調に実戦も重ねた。ところが、思わぬアクシデントが彼の身にふりかかった。

 国体終了後、左ヒザに痛みが走ったのだ。検査の結果、炎症を起こしていると診断された。それまでもヒザに軽度の腱鞘炎を起こしたり、筋肉疲労に陥ることはあった。ただ、いずれも1カ月もしないうちに痛みは引いていたという。今回も少し時間が経てば、痛みは収まると考えていた。だが、鈴木の考えと反比例するように、左ヒザの痛みは増していった。
「発症してから2、3カ月経っても炎症が治まりませんでした。ひどい時には、休んでいる時さえ痛みを感じました」

 さらに検査をした結果、左ヒザの数カ所に炎症が起こっていることが判明した。主な原因は腰や股間節、肩の筋肉が固くなり、体の左右のバランスが崩れていたこと。その微妙なズレが生じたまま歩くことで、左ヒザにダメージを蓄積させていたのだ。
鈴木は治療に専念することを余儀なくされた。競技人生初の長期離脱。不安やもどかしさが募っていった。「五輪に出られるだろうか」という最悪のシナリオも頭の中をよぎったという。

 コーチの今村文男も鈴木と同じようにもどかしさを感じていた。世界陸上終了後に考えた五輪までのプランを実行できなくなったからだ。今村は本番を含めて2度、ピークに持っていくことを計画していた。ピーキングの調整期間は長すぎても短すぎてもベストの状態に持っていくのが難しいからである。期間が長ければ、大会前に調子が頂点に達してしまう場合もある。そうなると、調子を保つことが優先事項になり、思いどおりの練習ができない。逆に調整期間が短すぎると、レースまでに疲労が抜けきらない恐れがある。負荷の大きい練習をこなす鍛錬期と、疲労を抜きながらコンディションをあげて行く準備期のバランスを重視しなければならないのだ。

 そこで今村が1度目のピークに設定したのは、今年2月の日本選手権男子20キロ競歩。同大会に向けて1度、負荷の大きい練習をこなすことで、身体能力を向上させる。大会後は、約5カ月の準備期間でレースで出た課題の修正を行う。そして下がったコンディションを五輪本番に向けて再度調整し、ピークをロンドンに合わせるプランを描いていた。
「世界陸上で持久力強化が必要なことも明確になりましたし、それも含めて、いろいろなことを試したかったのですが……。結局、早期内定のアドバンテージはなかったですね(苦笑)」

 いよいよ五輪イヤーとなった今年に入っても、トレーニングを積めないまま月日が過ぎた。しかし、本番まで約4カ月となった3月下旬頃から徐々に左ヒザの痛みが引き、医師から軽めのウォーキングをする許可がおりた。そして、4月に入ると、最も痛みを感じていた患部の炎症が治まった。
「五輪に向けて調子を上げて行く期間を考えると、本当にギリギリのタイミングだったと思います」

 鈴木はこう振り返る。復帰戦を5月19日の東日本実業団陸上の5千メートル競歩に定め、本格的なトレーニングを再開した。