白洲信哉 第2回 「細川護煕にじか当たりで秘書になり、何も分からないまま首相官邸に入った27歳の夏」

島地 勝彦 プロフィール

シマジ 大学では何を勉強したんですか?

白洲 考古学を学びました。

シマジ それからケンブリッジへ勉強しに行かれたんですよね。

白洲 いやいや、英国で約1年間「遊学」しただけです。たまたま父の知り合いの英国人から一軒家を借りられたので、そこに住んでいました。料理するようになったのもその頃です。

 当時の英国には、魚料理といえばフィッシュアンドチップスぐらいしかありませんでしたから、さすがに飽きてきて・・・。だったら自分で作るしかないと思って、母親に頼んで包丁と魚のおろし方の本を送ってもらったんです。英国産のサバを千枚はおろしましたね。わたしの料理の原点は英国での1人暮らしなんです。

 あるとき、日本からサンマを運んできた友達がいて、それを焼いていたらもの凄い煙が出て、消防車が来たこともありました。近所の人が火事と間違えて通報したんでしょうね。

シマジ やっぱり「可愛い子には旅をさせよ」ですね。あちらでは次郎のようにブガッティに乗っていたんですか?

白洲 いやいや、普通のプジョーです。

シマジ それで、日本に帰ってきてからはどうしたんですか?

白洲 しばらくブラブラしていたんですが、社会の仕組みを知るためにも政治に関わりたいと思って、当時、熊本県知事を辞めたばかりで無官だった細川護煕さんへ、「私を秘書に使ってくれませんか」とお願いの手紙を書いたんです。そしたら「面接に来い」との知らせがあったので行ってみると、「君が次郎さんの孫か」と言われました。面接らしい話もなく、ただその一言だけで細川さんの秘書になったんです。

 その翌年、細川さんは『文藝春秋』に論文を書いて日本新党を結成、あれよあれよという間に首相にまでなってしまった。平成5年の8月、ぼくは27歳で首相官邸に入り、細川総理の秘書をやっていたんです。政治のことも霞が関のことも何も分からない秘書でした。

 通産省の玄関からタクシーに乗って「大蔵省まで行ってくれませんか」なんて言って、運転手さんに「えっ!? すぐ近くですよ!」って驚かれたくらいです。