週現スペシャル 名医が明かす「忘れられない患者たち」

「私たちの〝恩師〟は病気と闘う 名も無き患者たちでした」
元国立がんセンター中央病院長、順天堂大医学部教授、肝臓移植のカリスマほか

週刊現代 プロフィール

 治療が終わり、Kさんは、血液検査の結果次第で退院というところまでこぎつけた。濱中医師が朝、検査結果を確認すると、退院できると判断のつく状態だった。

「うれしくて、すぐにも報告に行きたいと思ったのですが、あいにく午前中に担当の検査が詰まっていたので、検査を終えてからKさんの病室に行ったんです。すでにお昼を回ってしまっていましたが、この知らせだけは、どうしても自分の口から『退院おめでとう』と伝えたかった」

 だが、濱中医師が病室に入ると、Kさんはすさまじい剣幕で、「今まで何してたんだ!」と怒鳴り、握り締めた釣り雑誌を投げつけてきた。「俺は朝からずっと心配して結果を待っていたのに、お前は何様だ!」そのあまりの迫力にたじろぎ、濱中医師は「すみませんでした」と謝って、結果を説明した。すると、「退院できるんだな?帰る!」と憤然としてKさんは病室を出て行ってしまった。

「検査が終わったあとからでも、自分の口から直接Kさんに伝えたいと思っていましたが、それは単なる自己満足だったことに気づきました。検査結果を朝から待っていた患者さんの気持ちをもっと考えるべきだったんです」

 後悔の念が、ずっと心に残っていた。退院後は顔を合わすこともなくなっていたが、半年後、外来で来ていたKさんと病院の廊下でばったり出くわす。

「奥さんに抱きかかえられるようにして歩いていました。Kさんは、がんが脳に転移し、視力まで失われてしまっていたんです。その姿に衝撃を受けましたが、ここで謝らないと後悔すると意を決して、『Kさん、わかりますか?』と声をかけた。すると、僕の声を聞いて『ああ、濱ちゃんか』とすぐに気づいて、こう言われたんです。『あのときはいきなり怒鳴りつけて、すまんかったな。濱ちゃんなりに考えていろいろやってくれたのに、俺は怒りをぶつけて帰ってしまった。悪かったな』と。

『僕のほうこそ本当にすみませんでした』、そう言おうと思っていたのに、声が詰まって一言も言葉が出なかった。胸が一杯で、そのままその場にうずくまってしまいました」

 結局、これが最後の別れとなった。謝罪の言葉を伝える機会は、彼が亡くなることで永遠に失われた。

「医療というのは、『はい治りました、さようなら』ではないということが、骨身に染みて分かりました。患者さん第一であるべきで、患者さんに満足してもらえる、医療だけではなく、心のケアまでできる医者になりたいという思いが、そのとき芽生えたんです」

 その後、濱中医師は国立がんセンターに移り、内視鏡の専門医として華々しい活躍をみせる。内視鏡テクニックにかけては天才的な技量の持ち主との高い評価を受け、31歳のとき権威ある米国消化器内視鏡学会最優秀賞も受賞。その後のエリート街道は目に見えていた。