週現スペシャル 名医が明かす「忘れられない患者たち」

「私たちの〝恩師〟は病気と闘う 名も無き患者たちでした」
元国立がんセンター中央病院長、順天堂大医学部教授、肝臓移植のカリスマほか

週刊現代 プロフィール

「同じ轍を踏んではいけない、今日の手術を明日に活かすように、何とか一人でも多くの方を元気で帰せるように、という思いからです。この思いは、二十数年経った今も変わりません。最初に出会ったこの患者さんから受けたショックが、その後の私の医に対する方向性をつくってくれたのだと思っています」

 元国立がんセンター中央病院長で、現在はがん研究会の理事を務める土屋了介医師は、がんと向き合うことの意味を患者から教えられたと語る。

 まだがんセンターに在籍していた当時、「がんは患者本人に告知しない」というのが、病院の既定方針だった。「悟りを開いたと言われていた高僧が、がん告知を受けたら、かなり血迷われた。高名な高僧であっても、死に直面すれば、慌てふためき『死にたくない』と取り乱すのだから、俗人に告知が耐えられるはずがない」というのがその理由だった。

28歳主婦の生き様

 土屋医師も、それは当然のことだと思いながら仕事をし、30歳になったばかりの昭和51年、国立療養所松戸病院に転任した。

 ところが、そこで出会った28歳の女性肺がん患者が、土屋医師の固定観念を粉々に打ち砕いた。彼女は、まだ幼い娘を抱えた専業主婦だった。

「手術が始まり、開胸してみると、肋骨が異様に膨らんでいるんです。念のために調べようとメスを当てたら、刃先がスッと骨の中に沈んでいった。病理検査に回すまでもない。がんが骨まで転移しているという証拠でした」

 手術後、付き添いできていた夫と妹に、「先はかなり厳しい」と、状況をすべて説明した。3日後の朝、回診に行くと、病室の雰囲気が昨日までとはガラリと変わっていた。

「ピリピリとしたただならぬ雰囲気でした。娘さんを胸に抱いた彼女は、私を見るとみるみる目に涙を浮かべて、『先生、本当のことを言ってください』と訴えました」

 夫や妹を問い詰めて、彼女は自分が末期のがんだということを知った。ただ、その事実を、執刀医である土屋医師の口からきちんと聞きたいと求めてきたのだ。

「取り乱してという感じではありません。とても静かな口調でした。『私は先生の口から聞きたいんです。ダメだということが分かってもかまいません』。彼女にこう言われて、私は意を決して、すべてを包み隠さず話しました。がんであること、この先、どう進行する可能性があるかということまで、一切です。ですが、患者さんは途中で動揺することもなく、ただ黙って私の言葉を聞いていました」

 すべてを聞き終えたあと、一瞬の間をおいて、彼女が口を開いた。

「この娘が、物心つくまでは生きられないということは分かりました。でも私が病気と闘った姿は、夫や妹が伝えてくれると思います。だから私は、自分の体のすべてを分かった上で、治療を受けていきたい。先生、話してくださってありがとうございました」