週現スペシャル 名医が明かす「忘れられない患者たち」

「私たちの〝恩師〟は病気と闘う 名も無き患者たちでした」
元国立がんセンター中央病院長、順天堂大医学部教授、肝臓移植のカリスマほか

週刊現代 プロフィール

「手術はできるだけ速やかに行い、できるだけ早く良くして退院させてあげないとダメだと考えるようになったのは、そんな奥さんの姿を見てからです。患者さんだけではなく、家族に対しても、精神的、肉体的、そして経済的にも負担をかけてはいけないんだ、と」

 天野教授は、患者や家族に対し積極的に言葉をかけるほうではない。その分は「妥協しない手術」で応える。その姿勢を、「届かない命」の経験から学んだ。

「言い方は悪いかもしれませんが、医者にとって共倒れは一番避けるべきこと。患者さんだけではなく、ご家族まで倒れて火事の延焼のようなことになったら、赤っ恥もいいとこじゃないですか」

 患者から学んだこの思いを貫いてきたからこそ、「バイパス手術なら日本一」と言われる現在の天野教授がある。

がんの一部が血管に

 日本大学医学部附属板橋病院消化器外科の高山忠利教授も、「外科医にとって忘れられないのは、手術がうまくいかなかった患者さんたち」だと話す。

 肝臓の最奧にあるがんを取る手術法を世界で初めて編み出した高山教授は、肝がんの名医として知られている。そんな高山教授が、初めて肝がん手術を手がけたのは、まだ研修医だった昭和62年。国立がんセンター中央病院に入院していた、50代の男性患者だった。

「発見されたがんの直径は15mm。当時の診断技術のレベルでは、普通ならまず見つからないほど小さな、初期のがんでした。超音波検査で偶然見つかったのです。これなら新人でも大丈夫だろうと、私に執刀医の役目が回ってきました」

 手術は予定どおり順調に終えた。がんの一部が血管に入っているのを見たときは、「嫌だな」という思いがチラリと頭をかすめた。けれども、がんは完全に取り切ったし、サポート役についた指導医も手術は成功したと思っていた。だが、実際は特殊ながんだったのだ。

「腫瘍自体は確かにごく小さかったのですが、血管に入り込むという特徴のあるがんだったため、わずか3ヵ月で再発し、再入院されたんです。手術の前から、目に見えない無数の小さながん細胞が散っていたのでしょう」

 がんはあっという間に全身に広がった。手術から半年後、男性は亡くなった。

「奥さんのがっくり肩を落として帰っていった後ろ姿が忘れられないんです。とても顔は見られなかった。むしろ罵倒されるほうが楽かもしれない。口では『お世話になりました。ありがとうございます』と言うけれど、目には言葉にならない思いが、色濃くにじんでいました」

 このときから、高山教授は、手術記録とは別に、自分が執刀した手術を復習するための手術ノートを付け始めた。手術の予習復習を欠かさない習慣、そして出血量を可能な限り抑えて患者の負担を減らす努力も、ここから始まった。