小久保裕紀(ソフトバンクホークス)「逆境を愛し、愛されたキャプテン」8度の手術、偉業を目前にして椎間板ヘルニアで離脱・・・苦難を乗り越えて2000本安打達成

フライデー プロフィール

「まるでウチ(地元の和歌山)の85歳のおじいちゃんみたいやな」

'11年の日本シリーズではMVPに輝く活躍でチームを牽引。(右から)孫正義オーナー、本多雄一、川﨑宗則らとともにニコリ

 それでも試合が終わると、ロッカールームから駐車場までの長い通路の途中に多くのマスコミが待っている。その前に来ると、足は引きずりながらも背筋だけはピンと伸ばしてみせるのだ。プロ野球人としてのプライドだ。弱みは見せまいと歯を食いしばった。

 その後、抹消中はしばらく安静の日々が続く。2週間もの間、体を動かすことができず、まったく汗もかけなかった。

「復帰はオールスター明けになるやろうな・・・・・・」

 2ヵ月以上の離脱を覚悟した。ただでさえ一旦落ちた筋力を戻す作業が必要だ。年齢的に回復力も低下しており、実際にはどれだけの時間を要するか、想像できなかったのだ。

 長いプロ野球人生において、数字というのはコツコツ積み重ねていくものだと実感していた。しかし、「区切り」を目前に現役を退いた先輩選手たちを何人も目の当たりにしてきた。不安が頭の中を支配しても、何ら不思議ではない。

 しかし、小久保には誰よりも強い信念があった。

「逆境の時こそ、生き様の見せどころ」

 小久保は'93年ドラフト2位で青山学院大から福岡ダイエーホークス(当時)に入団している。大学3年でバルセロナ五輪に出場して将来を嘱望されたスラッガーは、プロ2年目で実力を早くも開花させた。28発を放ち本塁打王を獲得すると、4年目には打点王にも輝く。その後は打撃タイトルに縁がないが、これまでにシーズン30本塁打以上は6度、シーズン100打点以上は3度マーク。電撃トレードで巨人に移籍した初年度('04年)には41本塁打を放っている。巨人の右打者としての40発越えは、あの長嶋茂雄もなし得なかった初の快挙である。

突然のトレードでホークスを去ることになった'03年オフ、秋季練習中のチームメートの前で別れのあいさつを述べる

「それもこれも王さんのおかげです」

 先述したように2年目でタイトルを獲得した小久保だが、それでもルーキーイヤーは打率2割1分5厘、6本塁打とプロの壁に苦しんでいた。その翌年、ホークスの監督に王貞治が就任する。小久保の潜在的なパワーを見抜いた「世界の王」は、様々な〝金言〟を与え続けた。

「練習では楽をするな」