2012.06.11
# 中国

2015年に迫るASEAN統合を見据えた外交戦略の構築こそが日本の生命線だ! ~スーチー女史を迎えた「ダボス会議」に出席して

壇上に上がるアウン・サン・スーチー女史〔PHOTO〕gettyimages

 6月1日朝8時半、バンコクのシャングリラ・ホテルの大広間には、50数ヵ国から集まった約600人のVIPたち(日本からは米倉正昌経団連会長以下、約50人が参加)、それに世界中から詰めかけたメディアが、固唾を呑んで壇上を見守っていた。そんな中、WEF(世界経済フォーラム、通称「ダボス会議」)創設者のシュワブ総裁が、ややもったいぶった調子で紹介の言葉を述べた。

「今日この日を迎えるまで、実に24年の月日がかかりました。1988年に、イギリスから母国・ミャンマーに戻って以降、軍事独裁政権によって、ヤンゴンの自宅での軟禁生活を余儀なくされたのです。1991年にノーベル平和賞を授与された時も、99年にイギリス人のご主人が亡くなられた時も、出国できませんでした。

 それから24年、世界で最も注目を集める女性が、ついに出国を果たし、今日われわれの前に現れました。ご紹介します。アウン・サン・スーチー女史です!」

 舞台左手から、ミャンマーの青空を象徴するかのような薄青色のドレスを身に纏ったスーチー女史が姿を現した。カメラのフラッシュが一斉に炊かれ、会場の全員が、スタンディング・オベーションで迎える。中には目に涙を浮かべている欧米人さえいる。66歳になったスーチー女史は、背筋をピンと伸ばし、うっすらと笑みを浮かべながら、壇上中央に設けられた席に着いた---。

「6億人の統一市場」ASEAN

 「経済界のオリンピック」と称される「ダボス会議」は、毎年1月末に、スイスの寒村ダボスに、世界中の政・財・官・学界の指導者約2400人が集まって開催されている。ところが昨今の中国経済への関心の高まりから、2007年以降、毎年9月に「夏のダボス」を中国で開催するようになった。さらに2008年以降、世界がG20時代を迎えたことから、冬と夏以外にも、世界各地の注目スポットで開催するようになった。 

 今回は、5月31日と6月1日の2日間、初めてバンコクで「ダボス会議」を開催した。

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