ザ・プロ野球スカウト いい選手はいい目をしているって、本当です

週刊現代 プロフィール

 ところが、ヒットを1本も放てないまま、片岡氏はわずか2年でクビに。その後、移籍先の国鉄スワローズでも思うような成績を残せず'64年に引退。産経新聞記者などを経て、'72年ヤクルトスワローズのスカウトになり、以後33年間にわたって一線で活躍した。

 先ごろ2000本安打を達成して注目を集めた宮本慎也、稲葉篤紀の両選手のほか、栗山英樹監督など、数多くの才能を見出し、球界へと導いた人物でもある。

 中日をクビになった時は周囲から「契約金泥棒」と言われて、そりゃ悔しかった。実は入団時、球団からは、「本社である中日新聞社に入社し、そこから球団に出向という形でどうか」と誘われていた。要するに、僕は選手としてダメだった場合は新聞記者になるという〝保険〟を掛けたのですが、それが僕の精神的な甘さであり、弱さでした。

 プロ野球選手としてどん底を味わった僕は、いくらアマ時代の実績があったとしても、プロ入り後の順調な成長に結びつくとは限らない、ということを痛感していました。だからこそ'90年のドラフトでは、その年の超目玉・亜細亜大学の小池秀郎の陰でノーマーク状態だった、チームメイトの高津臣吾もリストアップしたのです。チームの2番手ながらも〈前向き〉に練習を重ねる彼は、肘をうまく使って投げるため球離れが遅く、しかも当時のヤクルトには峠を越えた横手投げの投手しかいなかった。正直言ってここまで活躍する選手だとは思いませんでしたが、チームの戦力状況に見事にハマりました。

 また、僕はスカウティングをする時、選手名や学校名などのメモを取りませんでした。自分の目で多くの選手を確認する過程で、私の記憶から消えてしまうような選手は、残念ながら、その程度の選手だったということ。つまり、ドラフトで指名する必要がないということなのです。

大成する選手、しない選手

 そんな私の記憶の中に強く残った投手で、実際に獲得できた最高の逸材は、三菱自動車京都の伊藤智仁です。ボールを長く持てるから、打者にとっては打ちづらい。そして、とにかくスライダーのキレが素晴らしい。あれはまさに一目惚れでした。

 ただし、選手を評価する時、技術だけを見て判断するようなことは決してしませんでした。たとえば僕はスカウティングの際、能力をデータ化することもありません。スコアブックもつけなかったし、スピードガンも使わなかった。スコアブックをつけている一瞬の間に、選手の一挙手一投足を見逃すことのほうが怖かったからです。いくらスピードガンの表示が150キロでも、試合に勝てるとは限らないのがプロの世界です。

 つまり、自分の目と勘に頼っていたわけですが、ではどこに注目してスカウトしたのか。その一つが「野球に対する姿勢」です。

 たとえば、ピッチャーは試合になれば誰でも真剣に投げる。ですから僕は、マウンドだけでなくブルペンでの様子も念入りにチェックしていました。この時、キョロキョロと視線が落ち着かないタイプは〈目の動き〉を見ればすぐにわかります。こういう選手は野球に対して真面目に取り組んでいない証拠。いざというとき集中力を発揮できるか、自らを成長させる意志の強さが備わっているか、といったポイントは、目を通じて判断できるわけです。