30すぎてから医者を志した人たちの「熱き物語」

人生一度きりだから、人の役に立ちたい
週刊現代 プロフィール

子供の頃から強い正義感を持っていた宮沢あゆみ医師はジャーナリストを志して早稲田大学に進学、難関を突破しTBSに入社した。

「ずっと憧れていた職業で、しかも女性初の政治経済部の報道記者になりました。何年かはまるで夢のような、希望に燃えた日々でした。首相番、野党、国会などを担当し、報道の第一線で世の中を変える力になりたいと夢中で働いていました。

転機が訪れたのは入社して5年目、がんの闘病生活を続けていた母が亡くなった頃でした。医学知識のない私は、主治医の治療方針の是非も判断できず、母の死に際し、ただただ無力感を味わったのです。『知識は力なり』、そう痛感した瞬間でした」

その半年後、職場で配置転換があり、宮沢氏は報道から、情報番組へ異動となった。

この2つの出来事に後押しされ、もう一度勉強して知識を蓄え、資格を取って「医師」として生きていこうと腹を決める。28歳の時の決断だった。

「TBSで働きながら、医学部受験の勉強を始めました。出勤前の3時間、昼休みなど、空いている時間は誰もいない会議室などを探して勉強し、夜も寝る時間を削って勉強しました。そして3年後の31歳、東海大学医学部の2年に学士編入したんです。

会社には、入学が決まった時に初めて『医学部に進学するので辞めます』と伝えました。医師を目指していることは誰にも伝えていなかったので、皆かなり驚いていました。

父親にも合格してから初めて打ち明けたのですが、意外にも喜んでくれて、その後は陰から私の挑戦を応援してくれました」

希望に燃えて入学した医学部だったが、現実はそう甘くはなかった。

「当時は学士入学制度がある医学部がほとんどなく、私大に入ったため学費を工面するのが大変でした。1冊数万円する教科書や専門書もある。記者時代の貯金もありましたが、それでもどうにかなるという額ではありませんでした」

家庭教師のアルバイトを5件ほど掛け持ちして学費を捻出する傍ら、勉強に没頭。36歳の時に医師国家試験に合格した。

「受かった時は、本当にほっとしました。いよいよ第二の人生が始まるんだ、と胸が躍りました」

ところが、実際に医学の世界に入ってみると理想と現実のギャップを感じることも多かったという。

「それでもがんの専門医を目指して研修に励んでいましたが、記者として働いていた自分の経験を振り返ってみると、次第に働く女性をサポートしたい、支えたいという気持ちが大きくなっていったのです。

記者から医者へという珍しい経歴にしかできない医療もあるのではないかという思いから、女性専門のクリニックを開設することにしました」

初めは医師、看護師、事務、掃除係と一人4役をこなしてきたが、今は理解あるスタッフに恵まれている。

「私の人生は壁にぶつかっては方向転換することの繰り返しです。でも、失敗は何度でもできる。一度きりの人生、失敗したら何度でもやり直せばいいんだと考えています」

他にも、51歳で医者になった禅僧や、元タカラジェンヌの救命救急医など、転職医にはユニークな経歴を持つ人が多い。だが、社会経験を積んでから医学部に入りなおすという人は、各大学の統計を見ても数年に一人という割合だ。

「本来、医者というのは最も庶民的な仕事であるべきだと私は思っています。なぜなら、医者はあらゆる職業、階層の患者と平等に向き合わなければなりません。それなのに、最近はプライドがやたら高かったり、相手の話を聞こうとしない医者が多い。幅広い層の人と心を通い合わせることのできる医者がもっと増えることを願います」(前出・川渕医師)

名医に経歴は関係ない。彼らのような垣根のない医者こそ、これからの医療に必要な存在かもしれない。

「週刊現代」2012年6月16日号より