30すぎてから医者を志した人たちの「熱き物語」

人生一度きりだから、人の役に立ちたい
週刊現代 プロフィール

卒業後は大学院で音楽美学の研究に情熱の全てをぶつけようと思っていたが、進学を予定していた大学院の新設計画が流れて、そのまま大阪で音楽教師になる道を選ぶ。

「ところが大学4年の時から母親が入院し、医師の仕事を間近で見る機会が増えていた。これに刺激を受けて、大学院進学が断たれて行き場を失ったままくすぶっていた情熱を、医療にぶつけてみたいと思うようになったんです。

前から悪くしていた耳の手術を受け、予後が不調だったこともきっかけの一つでした。

結局、教師は1年で辞め、医者になるための猛勉強を始めて、2年の計画だったところを1年で三重大学医学部に合格することができました」

医者の道に進んだからといって、佐藤医師と音楽との縁は切れていない。

「大学では音楽と脳の研究、創造と脳の仕組みのかかわりなどに取り組んできました。

医学生5年目の時、三重大学に神経内科講座が新設されたので、卒業後はそこに入局し、認知症の診断治療、音楽療法、失音楽症(歌ったり音楽を聴く能力の障害)などを中心に研究を続けています」

今、注目が高まりつつある音楽療法。だが、まだ医学的証拠がほとんどない。音楽と脳の関係の解明を通じ、音楽療法を固めていくというのが、自分に課せられた使命だと佐藤医師は熱く語った。

母の死に無力感を味わって

転職してから自分が医者になった意義に改めて気付くというケースもある。八王子の山口眼科クリニック院長、山口伸幸医師(51歳)もその一人だ。

「慶応大学経済学部を卒業して中堅電機メーカーに就職しました。仕事自体に不満はありませんでした。ただ、私はもともと一人でコツコツやるのが好きなタイプだったので、スキルを身につけ、プロフェッショナルな仕事がしたいとずっと思っていたんです。

今思えば、こんな理由で医者を目指すなんて無謀というか、若気の至りでしたね(笑)」

転職の決意を固め会社を辞めてからは、受験勉強は1日15時間。恋人は離れていき、有名企業に勤める大学時代の同級生が誘ってくれた飲み会では、女性から結婚相手の対象外という意味で「実のなっていないリンゴの木」と言われ、落ち込んだこともあった。

サラリーマン時代の貯金から予備校の学費を出し、1年半どうにか食いつないで千葉大学医学部に合格。バイトと勉強に明け暮れながら、33歳で卒業した。

「私の場合、社会経験のないまま医者になった先生より、一度サラリーマン生活を経験している分、患者さんの感覚を理解できると思います。

例えばどんな会社に勤め、どんな仕事をしているのか、それによってどんな治療法を選ぶべきかまで、患者さんに近い感覚で考えることができる。それが私の強みであり、転職して医者になった私の役割ではないかと思っています」

まだやり直せる

「夢を追い続けて挫折の繰り返し」

──お茶の水あゆみクリニック院長で婦人科医の宮沢あゆみ医師は、自身の半生をこう振り返る。だが、白衣をまとったその表情はすこぶる明るい。信念を貫いてここまで来たという確信があるからだ。