[レスリング]
米満達弘(自衛隊体育学校)<Vol.2>「ブルース・リーを目指せ!」

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苦境からの銅メダル

 だが、日本一の称号では22歳は満足しなかった。「どうせ、やるなら世界一強い男になりたい」。世界一を目指す最初の機会が巡ってきたのは、翌09年だ。米満は世界選手権に初出場を果たす。

 ところが、世界の主役にのしあがろうと意気込んでいた若者をアクシデントが襲った。大会直前の合宿でスパーリング中に右肩の腱盤を損傷してしまったのだ。思うように肩が動かないまま、決戦の地・デンマークへ乗り込んだ。

 人生も映画の脚本も、良くないことはなぜか重なる。寒冷地のデンマークは9月でも肌寒く、サウナで汗をかいても体重が落ちない。その上、前日計量の時間が午前中に前倒しになり、当日になっても体重は200グラムオーバーしていた。レスリングではシングレットを着た状態で、計量開始時刻から30分以内に規定体重をクリアしないと失格となる。
「もう、それまでの減量がキツくて体が動かない。正直、ダメかもしれないと思いました」

 最後の抵抗とばかり、ガムをひたすら噛み、唾液を吐きだした。計量の締め切り時刻ギリギリで体重計に乗ると、数字はなんとか66キロのリミットを差していた。
「それでも不安でしたよ。肩は痛いし、減量はギリギリ。その時点ではメダルを獲るイメージが全く沸いてきませんでした」

 ただ、人生も映画も悲劇ばかりは続かない。いざ試合が始まると、肩の痛みは忘れていた。3回戦まで勝ち上がると、4回戦では優勝したラスル・ジュガーノフ(ロシア)に敗れたものの、その後の敗者復活戦に勝利。3位決定戦でインドの選手を破り、初の世界選手権で銅メダルに輝いた。
「こんな状態でもメダルを獲れた。いけるんじゃないかという自信が芽生えました」