こんな生き方もある 立川志の春 人生は一度きりだから「イェール大卒、三井物産経由、落語家行き」

週刊現代 プロフィール

 海のものとも山のものとも知れぬド素人のために貴重な時間を割き、親身に諭していただける。その心遣いに接し、入門を断念する以前に、己を恥じる思いがしました。これほど素晴らしい方のもとへ入門したいというのに、退路も断たず、一方的に思いを伝えるだけとはあまりに失礼だ、と。

 迷う余地などありませんでした。会社に辞表を提出したうえで、恵比寿にある師匠の事務所近くのアパートに移り住み、'02年秋に入門を改めて直訴しました。

 師匠は驚きながらも、

「会社まで辞めてきたっていうんならなぁ・・・・・・まぁ、しょうがねぇか」

 と一言。その日から、兄弟子たちに教わりながら、師匠の付き人として師事する生活が始まりました。

 落語の世界では、見習いと前座を経て、自分で高座を催せる「二つ目」に上がるまでに5年。二つ目から、弟子をとれる「真打」に昇進するまでに10年と言われています。二つ目までは収入がほとんどありませんから、修業時代は食べるのがやっと。貯金を切り崩しながら、夜になるとネズミが天井で運動会をするような、家賃3万円のアパートで暮らしていました。

 しかし、生活の苦しさを感じないくらい、付き人として師事するというのは厳しいものでした。自分の時間などないことは言うまでもなく、所作や態度ひとつから、師匠にきつく言い聞かされます。私の前にも後にも入門志望者はいたのですが、たいていが見習い期間中に辞めていきました。

 今、振り返れば、師匠があえて厳しくするのは、見習いがそれまで培ってきたものを「壊す」必要があるからだと思います。染みついたものをすべて振り捨て、文字通り白紙になってからでないと芸事は身に付かない。「自分」にしがみついていてはダメなのです。

 私の場合、イェール大卒、三井物産勤務という経歴が大いに邪魔したクチです。師匠に叱られても「いや、自分はこう思ったんです」といった気持ちが顔に出るのでしょう、師匠を余計に苛立たせてしまうのです。

 でも、見習い期間を1年3ヵ月で終え、「立川志の春」の名前を頂戴して2年ほど経った頃、ハタと気づいたのです。修業とは、師匠と同化してしまうくらい師匠のことを考えるべきものなのだと。師匠は自分が心血を注いで培った技術を、弟子に伝えてくれます。そもそも、これほどありがたい話もないのです。ならば、まず弟子の心得として、師匠と一心同体になるような覚悟で接しなければならない。そういう心持ちが、私には足りなかったのです。

談志師匠の許しを得て

 5年といわれる見習い・前座時代が8年を過ぎた'10年11月、やっと二つ目が見えてきました。立川流では昇進条件として、二つ目は古典落語を50席、真打は100席を習得していることとし、そのうえで師匠による審査が行われます。また、二つ目に上がる際には、長唄と日本舞踊も審査の対象となります。