こんな生き方もある 立川志の春 人生は一度きりだから「イェール大卒、三井物産経由、落語家行き」

週刊現代 プロフィール

 しかし、入学早々、小っちゃな自信は粉々に砕け散りました。

 イェール大は米国大統領を数多く輩出した学校で、金融や経済といった実学を重んじるハーバード大に対して、法律学や政治学に定評があります。1学年は約1000人。なかには、どう考えてもコネ入学だろうと思える、勉強はサッパリの愉快な奴もいるのですが、トップクラスとなると「天は二物を与えたか」を地で行くような連中なんです。

 成績優秀なのは当たり前、パソコンのプログラムを独自開発中で音楽の才能もピカイチといった奴や、5ヵ国語がペラペラで、スポーツでも全米3位なんていうのがゴロゴロいる。そういう大秀才たちは、教授と話しても「自分はこう思いますが、どうなんでしょう?」と対等に議論するほどの力があるのです。これはエラいところに来ちゃったな。絶望的な思いがしました。

 特にショックを受けたのは、米国人が「自分の国こそ世界No.1だ」と強烈な自負心を持っているのに対して、自分が日本の素晴らしさを言い表せなかったことです。「日本の文化・文物が、世界に対してどれだけ誇れるのか?」を真剣に考えたことがなかったため、自分の言葉で説明できなかったのです。

 自分の国こそ、もっと知らなくてはならない。そう痛感させられた体験から、就職希望先には日本企業を選びました。内定したのは三井物産。勤務先は大手町で、やがて社内でも一、二を争う高収益部署の鉄鉱石部門に配属となりました。

 ところが、仕事に慣れ始めたかどうかという入社3年目にして、師匠の落語に出逢ったのです。当時、師匠は47歳。全身から気迫みなぎるその姿に、大学時代から引きずっていた「日本って何が素晴らしいのだろう?」というモヤモヤした思いが、いっぺんに晴れる気がしました。

2年経って、ハタと気づいた

 落語家へ転身したいと両親に打ち明けたのは、半年後の'02年春です。猛反対なんてモンじゃなかったですね。というのは、その直前に、2歳年下の弟のことで一悶着あったからです。

 弟は、私がイェール大に入学したのとほぼ同じ時期に英国の高校へ編入し、オックスフォード大に進みました。ところが、もともと音楽をやりたかったそうで、オックスフォード大を修了すると、ロンドンの音楽大学に入り直したうえ、劇団四季に入ってしまったのです。それが、今度は兄が落語家に転身するというものだから、天地がひっくり返るほどたまげたようです。父は浜松の繊維商の倅、専業主婦の母も国鉄マンの娘と、二人とも固い家柄の出なので、理解の範疇を超えていたのでしょう。

 そんな両親を3ヵ月かけて説き伏せ、その年の夏に初めて師匠と面会することができました。しかし、入門を直訴する私に対して、師匠はこう言いました。

「気持ちはよく分かった。でも、それだけいい会社にいるのに、辞めちゃァいけない。趣味にしたほうが、純粋に落語を楽しめるよ」