シマジ ほかに原書は何を読んでたんですか?
磯田 E.H.カーを読んでいました。
シマジ 彼のマルクス伝は傑作ですよね。もっとも私は翻訳で読んだんだけど。それが悪訳の見本みたいなもので難儀したことを記憶しています。
磯田 そうですか。
シマジ マルクスは金持ちだった親友のエンゲルスから援助を受けてロンドンで暮らしているときに、家政婦に手をつけて子供まで生ませている。正妻の子供は大学までやっているのに、家政婦の子はやっていないんですよ、マルキシズムの元祖が。
磯田 なるほど(笑)。
シマジ 磯田さんの少年時代はどうだったんですか。
磯田 わたしの出た小学校は目の前に大きな古墳がありました。
シマジ 歴史好きの道史少年の小学校に古墳があったなんて因縁ですね。
磯田 家の近くに山道は、むかし足利尊氏や豊臣秀吉が馬に乗って駆けて行った、いわゆる「英雄の道」なんです。わくわくしましたね。学校の歴史の時間でもそういう身近なところから教えたら、生徒は俄然興味を持つと思います。
シマジ 先週教授が言っていた江戸時代は各人しっかり持ち場を持っていたというお話ですが、磯田道史の持ち場はなんですか。
磯田 それはいままで起こった大地震の古文書を紐解くことです。
シマジ たしかに日本には地震は100年に一回は大きいのがやってくる。天災は忘れたころにやってくる。
磯田 そうなんです。古い大地震のことを神社やお公家さんが書き遺しているんです。宝永地震の記録を遺しているのは、近衛家の日記ですが、たまたま東海道を歩いていた御殿医から口伝で訊いたことが記されています。それによると、医者はあまりの揺れに立っていることさえ出来なかったと言っています。何とか800メートルくらい歩いたと書いていることから推測すると、その地震は10分間は続いたんでしょう。津波も今回のように時間が経ってから襲ってきたのではなく、すぐにやってきたと書いています。
今度、浜松の静岡文化芸術大学に移るのも、この地方に残る地震に関する古文書を徹底的に読み込もうと考えたからなんです。それがわたしに与えられた持ち場です。
シマジ 日本人のためにも大切な研究ですね。