宇宙飛行士は、主役じゃない。「ぼくは、科学者の手足になりたい」
宇宙飛行士 古川聡

ふるかわ・さとし/1964年神奈川県生まれ。外科・麻酔科の医師として活躍した後、1999年日本人宇宙飛行士候補者に選定され、2001年正式に宇宙飛行士に認定される。野口聡一宇宙飛行士のバックアップクルーなどを経て、2008年、国際宇宙ステーションでフライトエンジニアとして長期滞在することが決定。2011年5月末からの滞在を予定している。

取材・文/門倉 紫麻  撮影/神戸 健太郎

「地顔は、笑顔!」という表現がぴったりの古川さん。この笑顔が地球の未来を明るくする!

 宇宙開発の主役は、宇宙飛行士だ。そう思っている人は多いだろう。だが、古川宇宙飛行士に話を聞いていると、そんな認識が変わっていく。

 古川さんは、宇宙へ行ったことのない宇宙飛行士だ。

 12年もの長い間、ひたすら地上で訓練を続けてきた。だがそれも今年の5月で終わる。ソユーズに乗って宇宙ステーションへ行き、6ヵ月の長期滞在をすることが決まっているからだ。

 古川さんが医師を辞め、宇宙飛行士の道を選んだのは、1999年2月。同期は星出彰彦さんと山崎(旧・角野)直子さん。2年の訓練を経て、2001年、宇宙飛行士候補者から宇宙飛行士になった。その2、3年後には、宇宙へ行く。古川さん自身も、古川さんをサポートするJAXA(宇宙航空研究開発機構)のスタッフもそう考えていた。

 自らの力で夢の職業へと就き、人生をコントロールしているはずだった。しかし、宇宙開発には、個人の力ではコントロールしようがない出来事があると知ることになる。2003年、ミッションを終えたコロンビア号は、大気圏再突入の際に、空中分解をした。乗っていた宇宙飛行士7名は死亡。この大事故は多くの宇宙飛行士の人生を変えたが、古川さんも例外ではなかった。

「実は、事故の時、現場にいたんです。私は、ミッションの地上支援チームの一員でした。シャトルが持ち帰った科学サンプルを受け取るために、フロリダのケネディ宇宙センターの着陸場で待っていたんですが、いくら待ってもシャトルが到着しない。管制室が、無線のチャンネルを変えながら、『コーム・チェック(聞こえるか?)』とコロンビア号に呼びかける声が、待っている私たちにも聞こえる。さすがに何か起きたのではないか、と思い始めたころに、非常事態との連絡がきました。はじめは何が起きたのか分からなかったんですが、そのうちテレビのニュースでもコロンビア号が空中分解する映像が流れて・・・事故が起きたのだと分かりました」

 宇宙へ発つ前に、死のリスクを間近で見せられた。それだけでなく、一緒に訓練をしていた同僚を一瞬にして失った。コロンビア号の事故の原因究明が済むまで、スペースシャトルの運航は停止されたままだ。本来ならば1、2年後には古川さんは宇宙へ行くはずだった。今までは区切りとなるゴールが見えていて、そこを目指して訓練していた。しかし、すべての計画は、一度白紙になってしまった。ゴールの見えないなか、気持ちの整理がつかないままどう訓練を続ければいいのか。

 訓練へ向かう気持ちを奮い立たせるきっかけをくれたのは、当時のブッシュ大統領の演説だった。

「まだ事故から数日しか経っていないうちに、ヒューストンのジョンソン宇宙センターにやってきて演説をしました。ブッシュ大統領はその演説で『アメリカの宇宙開発はこれからも続いていく』と宣言したんです。力強い演説だった。聞きながら、素直に感動しました。それとともに、アメリカという国の強さ、すごさを改めて感じた。立ち止まってしまいそうなときでも、前に進もうと宣言する姿に力をもらえました。段階的にですが、私も友が命をかけてやってきたことを引き継いで、将来につなげよう、前へ進もうと思えるようになりました」

自分でコントロールできることに、集中せよ

 宇宙飛行士の訓練には、座学も山のようにあるが、実際の宇宙と同じように死と隣り合わせの訓練もある。例えば、NASA極限環境ミッション運用(NEEMO)訓練。フロリダ沖に設置された閉鎖環境施設アクエリアスで行われる訓練だ。

「マイクロバスほどの大きさの施設が海に沈められています。そこで15日間、6人で過ごす。スペースシャトルで宇宙へ行った時のように、分刻みのミッションをチームでこなさなくてはいけません。気を緩めることがなかなかできないのですが、なかでも宇宙遊泳に見立てた潜水訓練は、大変でした。潜水訓練はプールでも行いますが、まるで違っている。海では、本当に命がけなんです。宇宙と同じで、どこにも逃げ場がない。この訓練に参加するにあたって、家族宛ての遺書も書きました。訓練の開始当初は、とにかく疲れが溜まってしまって・・・。自分では平常心のつもりでも、だいぶ緊張していたみたいです」

 この時、古川さんは無理をせず、冷静に対処した。

「船長に頼んで、他の宇宙飛行士より先に寝させてもらうようにしたんです。3、4日そうしたら、やっと本来の平常心になれて。自分の実力を発揮して、なんとかやれるという気持ちになりました。たくさん寝たことで、気持ちがリセットされたんでしょうね。眠ることは大好きなんです(笑)」

 宇宙飛行士は、自己管理能力が問われる。無理をして頑張れば、評価されるわけではない。自分が疲れている時は、しっかりと申告をして、休むほうが大切なのだ。だがそうは言っても、一刻も早く宇宙へ行きたいと思っている宇宙飛行士が、休みを申告するのは、すごく難しいことでもある。

 古川さんが、焦ることなく、訓練に集中できるのはなぜだろうか。そこには、先輩宇宙飛行士からのアドバイスの影響があった。

「コロンビア号の爆発の後は、アメリカやロシアで訓練をしていても、先が見えず、悶々としていました。そんな時に、同じく飛べない時期が長かった先輩宇宙飛行士から声をかけてもらったんです。『訓練そのものを楽しめばいいんだよ』って。なんだか、すごく気が楽になりました。宇宙開発って計画通りに進まないんです。自分がコントロールできないことを気に病んでもしかたがない。コントロールできることに集中して、一歩一歩積み重ねていくしかないんです。起きている物ごと自体には良いも悪いもなくて、全てはそれを受け取る人の考え方次第。その状況をなんとか笑ってしまえば、気持ちも少しずつ明るくなるんです」

 古川さんは、12年間、宇宙へ行く日をただ待っていたわけではない。長い訓練の分、ほかの日本人宇宙飛行士よりも多くのことを学んで、宇宙ステーションへ行こうとしているのだ。しかし、自分はまだ半人前だと古川さんは言う。

「宇宙飛行士は、宇宙に行って仕事をして、やっと一人前です。でも訓練中の身とはいえ、宇宙飛行士としてブルースーツを着て、講演をすることもあって。どこへ行っても、みなさんがとても好意的に迎えてくれて、私に敬意を払ってくれる。はじめは嬉しかったんですが、ある時気が付いたんです。この敬意は"私"個人に対してのものではない。先輩が築いてきた、宇宙飛行士というイメージに対しての敬意なんだ、と。そのイメージを保っていくよう努力しなければいけない、と気を引き締めました」 

「イメージを保つ」と控えめな表現を使った。だが、本当は、保つだけではない。古川さんは、12年間、自分らしい、新しいイメージを作るために努力をし続けていたのだ。 

「ロシア語ができるようになったのは、12年間あったからこそ。ロシア語の勉強を始めたばかりの宇宙飛行士候補生の頃は、こんなに難しい言語を仕事で使えるようになるのだろうか?と不安でした。ドイツ人の先輩宇宙飛行士の訓練を見学したら、コックピットでも、地上での訓練でも、デブリーフィング(反省会)でも、全部、難なくロシア語を使いこなしていて・・・。ただただ唖然とするばかり。でも『継続は力なり』です。今はおそらく彼に近いレベルまでいけたと思います。

 宇宙船の運用者としての技能をあげることができたのも、12年あったからです。今回使用するソユーズは、船長補佐として運用します。コックピットでは船長の左の席に座って、私もコマンドを打ったり、モニターをチェックしたりして、異常があれば船長と協力して対処します」 

 さらりと古川さんは説明したが、実はかなりすごいことだ。

 前職が医師であった古川さんは、元々科学者としての側面を期待されていた。技術者出身ではない宇宙飛行士が、宇宙船を運用するのは、日本人として初めてのこと。ロシア語を堪能に操り、ロシア人からの信頼を勝ち得た古川さんだからこそ、その役を任されたのだ。

 今までの日本人宇宙飛行士は、ロボットアームの操作や船外活動等を行う運用のスペシャリスト(野口聡一さんなど)、もしくは船内の実験等を行う科学のスペシャリスト(向井千秋さんなど)、どちらかとして宇宙へ行った。古川さんは、その両方のスペシャリストとして宇宙へ行く。12年に及ぶ努力が、それを可能にしたのだ。

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