宇宙は難病から人を救う輝ける舞台だ。
大阪バイオサイエンス研究所 裏出良博

取材・文/門倉紫麻 撮影/神戸健太郎
国際宇宙ステーションの日本実験棟「きぼう」を舞台に難病と言われる「筋ジストロフィー」の進行を止める薬を求めて研究を続けている男がいる。「僕の仕事が途中で止まらないように、みんな、手伝ってくれ!」
きぼう。国際宇宙ステーションの日本実験棟につけられた愛称だ。今その中で、本当に一つの希望が育っている。
難病と言われる「筋ジストロフィー」(筋ジス)。その進行を止める薬が、実験の成果によって現実味を帯びて来ているのだ。
筋ジスは、筋肉が徐々に壊れ、体が動かなくなっていく難病。親が異変に気付くのは、子供が歩き始める頃だ。手を使わないとうまく立ち上がれない。そのうち歩けなくなり、小学校高学年くらいで車いすの生活になる。進行は速い。やがて呼吸が困難になり、人工呼吸器が手放せなくなる。若くして死に至ることがほとんどだ。
診断は遺伝子を調べれば、すぐにくだせる。だが治療法は、ない。薬はないし、手術もできない。患者とその家族は、進行が少しでもゆっくりであってくれと祈りながらリハビリを続けるしかない。
薬の登場は、そんな出口のない苦しみの中にいる人たちの、人生の希望となる。
薬の研究を行っているのは、大阪バイオサイエンス研究所の裏出良博さん。
「この薬は、病気自体を治すことはできない。でも飲み続ければ、進行にブレーキをかけることができる。もし進行の速度が半分になったら12歳で車いす生活に入っていた人が、24歳までには自分の足で歩いて、発病前に近い生活が送れるでしょう。そうやって薬で時間を稼いでいる間に、医療はもっと進歩する。完治だって夢ではないかもしれない」
裏出さんは、医者ではない。製薬会社の人でもない。タンパク質の研究者だ。何かに役立てたり、応用するための研究ではなく、タンパク質の成り立ちや性質を学術的に解き明かそうという「基礎研究」をしてきた人だ。病気や、人の生死に関わるはずではなかった。
だが研究を続ける中で突然、裏出さんは知ってしまった。自分の研究が筋ジストロフィーの患者を救うかもしれないことを。「ここまできたら、専門じゃないとか関係ない。もう止まれない」
突然現れた目の前の道を、がむしゃらに行くことを決めた。
「少しでも早く実現するためには、バラバラに動いていてはロスになる。みんなの力を集めて一気にやらなくちゃいけない。この4人も、もう運命共同体やで」
私たち取材陣4人を、まっすぐに見てそう言った。
「僕がしたいことを、正しく、わかりやすく、あんたたちなりの言葉や写真で、たくさんの人に伝えてくれたら嬉しいな」
どきりとした。
「1人でやったら100年かかることも、2人でやったら50年で済む。4人でやったら25年、50人でやったら2年で済むでしょう。これを読んだ人が、この研究は続けるべきやって言ってくれないと事は動かない」
誰も傍観者でいることを許さない、強くて、でもやさしい目で言った。
コロンビア号の事故が宇宙実験へと向かわせた
裏出さんの道が予想していなかった方向に延び始めたきっかけは、宇宙実験だった。
「最初は、無重力での実験なんてなんかけったいやし、ロケットを使うなんてかっこええと思ったから首をつっこんだだけ。道義的な精神で何か始める研究者なんて・・・たまにはおるかもしれへんけど僕はそういうのはないな。おもしろいことやおかしいことを調べるのが好きなだけやから」
なんとなく始めた宇宙実験だったが、03年、裏出さんの意識を変える出来事が起きる。
科学実験用に特化して打ち上げられたスペースシャトル・コロンビア号に、裏出さんの研究するタンパク質も積み込まれていた。宇宙での実験は成功。だがコロンビア号は、大気圏再突入の際に空中分解し、宇宙飛行士7人は死亡した。
「めちゃめちゃショックだった。僕らの仕事を手伝うために、人が亡くなったってことになるわけやろ?自分が基礎研究をすることで、人が死ぬなんて想定外。強烈なインパクトやった。これはなんとかしないといけない、と思った」
この時、裏出さんの中で宇宙実験は「けったい」なものではなく、続けるべき仕事になる。コロンビア号の事故は、古川宇宙飛行士だけでなく、裏出さんにも大きな影響を与えていたのだった。