[プロ野球]
森繁和×二宮清純<後編>「バッターは飛ばないボールで工夫せよ!」

『参謀』『天才たちのプロ野球』出版記念スペシャル対談
スポーツコミュニケーションズ

原点はニカラグア体験

二宮: 現役引退後、森さんは西武、日本ハム、横浜でコーチを歴任しました。しかし、落合博満さんとは接点がなかった。
: 僕も何で声がかかったのかわからなかったんです。監督とはチームが違ったし、特別、親しくしていたわけではない。唯一、接点があるとすれば、社会人時代に一緒に代表に選ばれて海外遠征したくらい。僕はその前年(1977年)にもインターコンチネンタル杯の代表に選ばれてニカラグアに行っているんです。

二宮: ニカラグアは72年に大地震があって、その復興支援で大会が開かれたそうですね。
: 行ったらビックリしましたよ。国内情勢が混乱しているので、夜8時以降は外出禁止。“こんなところで野球ができるのか?”と思いましたよ。それでもホテルの鉄条門をくぐって、飲みに出かけたりしていましたけどね(笑)。もっと驚いたのはニカラグア戦前日のウエルカムパーティー。ホテルで食事をしたら、みんなバタバタ倒れていく。救急車が出動する事態になったんです。

二宮: 食あたりですか?
: じゃがいもの芽にあたったみたいです。ピッチャーは何とか助かったけど、外野手が足りなくて、ピッチャーの福間(納)さん(後にロッテ、阪神)が外野を守らなくてはいけないほどでした。当時のニカラグアは上位を争うチームでしたから、「ニカラグアの陰謀じゃないか」という話も出ましたけどね(苦笑)。そして、いざ試合が始まるとバンバン音がする。爆竹を鳴らしているのかと思ったら、ピストルの銃声だったんです。

二宮: 野球どころではありませんね。
: みんな怖くなってヘルメットをかぶっていましたよ(苦笑)。外野を守っていても石が飛んでくるし、本当にすごかった。ただ、これが南米や中南米の野球に興味を持つきっかけになりました。

二宮: なるほど。だから森さんは中日時代にドミニカで選手獲得に乗り出したわけですね。トニ・ブランコやマキシモ・ネルソンなどが貴重な戦力になりました。
: 全然、期待はしていなかったんですけどね。監督自身は「日本の選手だけでも、それに合った野球をやれば勝てないことはない」と常々、言っていました。ただ、理想に近づくには当面は助っ人の力も必要。だからタイロン・ウッズを横浜から獲得しました。でも、年俸が高かったから他の外国人に回せるお金がない。「他はどこかで探してこい」と言われて、思いついたのがドミニカだったんです。

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