[プロ野球]
森繁和×二宮清純<後編>「バッターは飛ばないボールで工夫せよ!」

『参謀』『天才たちのプロ野球』出版記念スペシャル対談
スポーツコミュニケーションズ

酔わせて秘密を聞き出す

二宮: 西武の入団1年目は根本陸夫監督でしたね。
: 根本さんは監督というよりも、チームをつくって育てる仕事のほうが向いていましたね。だから優勝争いができるチームになったところで、「オレの役割は終わった」と監督を辞めてしまった。「ここからは本当に野球を知っている監督の下で戦えれば絶対勝てる」と。

二宮: 新たにやってきたのが広岡達朗さん。当時のどの選手からも、「管理野球で厳しかった」と聞きます。
: 野球以外に私生活も管理されたので大変でしたよ。食事制限があったし、奥さん連中を集めて栄養の講習会をしていましたから。それまでは「どんどん好きなものを食え」と言われていたので苦しかった。ただ、広岡さんから野球の細かい部分を教わったことは役立ちましたね。

二宮: 広岡監督の就任1年目に森さんは途中からリリーフに転向し、82年、83年と2年連続の日本一に貢献します。その翌年の84年には江夏豊さんが日本ハムからやってきました。
: 広岡さんとしては抑えは1人より2人いるほうが安心だと思ったのでしょう。でも、いくら実績や年齢が上と言っても、僕にもプライドがある。やっと一人前として認めてくれるのかなと思ったら、高橋直樹さんとか年齢が上のピッチャーがどんどん入ってくるのはツラかった……(苦笑)。

二宮: ただ、そういった実績ある先輩たちに揉まれた経験は今に生きているのでは?
: それは確かにあったかもしれませんね。おかげさまでお酒は強いほうだったので、先輩たちに誘われたらついて行くようにしていました。先輩だと奢ってくれるし、いろんなところで、いろんな人に合わせてくれる。そうやって遊んでいるなかで時々、野球の話が出るんですね。これが勉強になりました。たとえば黒田(正宏)さんから南海が強かった頃の思い出を聞いたり、阪急の山田(久志)さんや福本(豊)さんから日本一になった時の話をしてもらう。

二宮: それは当時、駆け出しだった工藤公康さんも言っていましたね。酒の席で東尾さんがポロッとこぼした一言がヒントになったと。
: 僕なんかは飲めるクチだったから、どんどん相手を酔わせて聞き出していましたよ。他球団の選手が「オマエのクセはなぁ」なんて漏らしてくれた時は、本当にもうけものでした(笑)。

二宮: 広岡さんの後は森祇晶さんが監督になり、西武は黄金期に突入します。
: 振り返ってみれば、現役時代の監督はみんな野手出身なんですよ。太田さんも松永さんも野手だし、根本さんと森さんはキャッチャー。広岡さんも内野手です。だから逆にピッチャーらしいことを教わった人がいない……。西武に入団した頃はピッチングコーチもキャッチャー出身の浦田(直治)さんでしたから。