短期集中連載 今年、創業100周年を迎える日本を代表する企業。現在、苦境に喘ぐものも多いが、日本経済を牽引してきた名門企業の原点を振り返った
「ファイト!一発!リポビタンD」「早めのパブロン」などのCMを放映している『大正製薬』が、今年10月に創業100周年を迎える。同社は医療用医薬品から、300種類以上の市販の薬まで扱う総合製薬会社だ。4月には外用炎症鎮痛剤の大手『トクホン』の買収を発表し、貼り薬の分野にも経営を拡大した。
同社の基盤を構築したのが〝中興の祖〟と呼ばれ、自民党の政治家として第一次佐藤栄作内閣で科学技術庁長官も務めた上原正吉('83年没、享年85)だ。生前の正吉を取材した、ビジネス誌『ニューリーダー』発行人の足立亶氏が解説する。
「正吉は、こう語っていました。『万一不良品が出ても、不正品は絶対につくらない。これがわが社の誇りである』と。消費者に対して誠実であれということです。昭和初期までは高級品だった薬を、大衆の手に届けようとしたのが正吉でした。絶えず大衆の立場に立ち、大衆に必要なものを提供してきたからこそ、成功できたのではないかと思います」
大衆薬を普及させた正吉とは、どのような人物だったのか。正吉は1897(明治30)年12月、埼玉県北葛飾郡杉戸町の教師・上原善右衛門とさだ夫妻の7人兄弟の末っ子として生まれた。ところが5歳の時に母が、6歳の時に父が他界する。生家も没落し、正吉は高等小学校を卒業すると兄を頼って上京。土木作業員の下請けとして生活費を捻出する傍ら、就職先を探す。
大正製薬の坪井正樹広報室長が、当時の正吉について語る。
「正吉は、単に面接を受けていたわけではありません。自分を受け入れてくれる企業を探すのではなく、自分の人生を託せる会社かどうか、自ら出向いて雇い主や会社の体質を見極めていたのです」