[プロ野球]
森繁和×二宮清純<前編>「今だから話せるオレ竜の真実」

『参謀』『天才たちのプロ野球』出版記念スペシャル対談
スポーツコミュニケーションズ

落合が決めた唯一の投手起用

二宮: 野球の監督で最も難しいのはピッチャーの継投だと言われます。ところが落合博満前監督は、この部分を全て森さんに任せていたと。落合さんが継投にあれこれ口を出したことは本当に一度もなかったんですか?
: 一度も言わなかったですね。全部、ピッチャーの起用はこちらで決めました。ただ、こちらも迷っている時に、監督の考えを聞くことはありましたね。たとえば右と左のリリーフをブルペンで用意させていると、監督も「どこで代えるの?」って聞いてくる。「右(バッター)が代打で出てきたら、右(ピッチャー)を出そうと思っています」と答えると、「そうだよな。でもな、ここは右(ピッチャー)のほうがイヤな予感がするな」と言ってくる(苦笑)。他にも左ピッチャーが(アレックス・)ラミレス(現横浜DeNA)を迎える場面だったら、苦手な右のサイドスローをぶつけたいんだけど、監督は「ラミレスに右をぶつけてポンとライトに打たれるのはイヤだな。左だったら引っ張ってくるんだけど」と言ってくるんです。

二宮: アハハハ。それはかえって迷いませんか?
: でも、よく考えると監督の言っていることが正しいんです。このラミレスのケースではランナーが一塁にいて、左ピッチャーなら引っ張ってくれてサードゴロゲッツーの可能性もある。それで続投させると「シゲ、代えないの?」って聞いてくる。「このまま行きましょう。左ならゲッツーの可能性もあるんでしょう?」「うん、オレはそう思うな」……こんなやりとりをベンチの中ではしていました。ただし、監督は打者目線から自分の考えは言っても、絶対に「代えろ!」と指示を出すことはなかったですね。

二宮: そんななか、8年間で唯一、落合さんが決めた投手起用が1年目の開幕戦、川崎憲次郎の先発だったとか?
: あれは僕も驚きましたね。キャンプ前にコーチ陣の顔合わせをした時に、「1回、みんなで温泉でも入って、ゆっくりしようや」と誘われたんです。そのお風呂の中で「川崎先発」と言われました。

二宮: 当時、川崎は01年にFA宣言をして中日に移籍して以来、1度も一軍での登板がありませんでした。
: 監督としては、3年も投げられなかったピッチャーが開幕の時点で使える状態にならなければ、もうダメだろうという考えだったようです。はっきり言ってしまえば、その時点で使えなければ引退だと。

二宮: なるほど。使えるか使えないか分からない状態が一番良くない。その見極めを開幕戦でやってしまおうと?
: 計算が立つか立たないかは開幕戦を見たら分かる。監督がそのつもりでやるなら、開幕戦とはいえ144分の1。どうせシーズン中に最低でも50回は負けるんだから、それが最初の1試合目でもおかしくないだろうと。あの試合はたまたま逆転勝ちをしましたが、こちらは負ける覚悟でピッチャーを用意していました。川崎には、その後も2回チャンスを与えましたが、結果は出ませんでしたね。本人も投げてみて納得した部分があったのではないでしょうか。「今年で引退したい」と自ら言ってきましたよ。最終的にはお互いにとって、いいかたちになったと思っています。

二宮: でも期せずして、あの起用がチームをひとつにしたという側面もあります。選手に聞くと、「開幕戦で勝ったことでチームに勢いが出た」と言っていました。
: そうですね。ベンチの全員が“川崎のために”という思いがありました。投げたくても投げられない状態だったのは知っていますから、何とかモノにしてやらなくてはという気持ちが出ていましたね。

二宮: 当時、中日のエースは川上憲伸。川崎先発となると、彼へのフォローも必要だったでしょう?
: その点は気を遣いました。開幕戦を川崎で落としたら、そのまま2戦目も負けてしまうかもしれない。となると最悪でも3戦目は絶対に勝たなくてはいけない試合になる。だから、3戦目に川上を持ってきたんです。川上は意気に感じる男なので、「オレのなかでは3戦目が一番大事な試合だと思っている。だから、一番いいオマエを3戦目の先発にしたいんだ」と話をしました。2戦目の(山本)昌にも、「川崎は開幕戦に投げたら、1回、登録抹消するから、次のカードはオマエが初戦で軸になる」と、こちらの考えを伝えましたね。