藤巻幸大 第4回 「人生の師である上司の慰留を振り切って伊勢丹を辞めた・・・その後の強運」

島地 勝彦 プロフィール

藤巻 日本の若いデザイナーたちで展開する"解放区"のアイデアに飛びついて認めてくれたのが、後年社長になった武藤信一部長です。2人で中華料理店で食事をしながら話し合ったんです。

「藤巻、おまえ出戻りだろう。おれもいままで色々やってきた。この伊勢丹で一緒に新たな何かをやっていこう」ということで"解放区"が実現したんです。

瀬尾 どうして"解放区"と命名したんですか。

藤巻 トンカツ屋「とんき」の店内を見て閃いたんです。

立木 当時、カルチェ・ラタンにも解放区ってあったしな。

藤巻 この商標はレナウンが持ってまして、「ぼくに貸してください」と頼んでOKを取ったんです。これが予想外に大当たりして、人がぼくを"カリスマバイヤー"なんて呼ぶようになったんです。でもバーニーズでの痛い思いが残っていますから、今度は絶対に「おれが、おれが」っていい気にならないぞ、表には出ないぞ、と腹で決めていましたので、「みんなのお陰です」と極めて謙虚な態度でメディアの取材にも応じました。それが功を奏してますます順風満帆で進展したのですが、あるとき年上の従姉妹に説教されました。

「幸ちゃん、あなたは舞い上がっているわよ。少し東洋思想を勉強しなさい」と論語の本を渡されたんです。安岡正篤の著書も読みました。そしたら「おれは本当に人間として間違っている」とつくづく思い、反省しましたね。ぜんぶダメだ、と思いました。

シマジ 素直に認めるところがすごいや。

藤巻 ハチャメチャやるのはいいけど、もっと相手の心に対して思いやりをもつとか、大切なことをたくさん教わりました。ちょうど"解放区"が成功した32-3歳のころでした。