総理大臣・横綱・歌舞伎役者の愛人となった、
近代最初の「女優」
女優の近代vol.2

vol.1はこちらをご覧ください。

 近代最初の女優といえば、まず、川上貞奴に指を屈さねばならない。

川上貞奴 貞奴(1871~1946)は、夫・音二郎の死後、「電力王」と謳われた福沢桃介と交際した

 貞奴は六歳の時に芸妓として売られ葭町の花柳界で育った。十二歳でお酌となり、十五で伊藤博文に見初められている。

 伊藤との密接な関係を維持しつつ、横綱の小錦や歌舞伎役者中村福助(後の五代目歌右衛門)とも交際していた。

 そのままであれば、貞奴は葭町の名妓として一生を全うしたのだろうが、そうならなかった。

 演劇の革新運動の波に呑み込まれてしまったのである。

 中村座で川上音二郎の壮士芝居に接して、貞奴は、川上を生涯かけて支えよう、と心に決めてしまった。

 当初、貞奴は舞台には立たなかった。

 有力者に川上への助力を頼み、また資金を案配する、「女房役」に徹していた。

 明治二十六年、音二郎は一座のスタッフに無断でフランスに渡り、パリで観劇に励んだ。サラ・ベルナールが『椿姫』のマルグリットを演じるのを見たという。

 翌年、音二郎と貞は、正式に結婚した。

 同年八月、日本は清に宣戦布告をした。

 川上は、機敏に対応した。

 『川上音二郎戦地見聞日記』と銘打った芝居を上演して、大当たりをとった。舞台では、日本兵が、清の兵隊を銃剣で突き刺している、その前で音二郎が見得をきってみせた。

 政府批判としてはじまった壮士劇は、対外戦争をへて、軍国礼賛へと「転向」したのだった。

 明治三十一年三月、音二郎は第五回臨時総選挙に立候補し、落選した。選挙運動のため、高利の金を借りていたため、苦境におちいる。

 川上は、いかにも彼らしい解決法を見いだす。成功した日系移民の招聘に応じて、一座で渡米することにしたのである。

 妻として貞も同道する事になった。アメリカで舞台に立つつもりはなかったが、「万一」の事を考えて、「娘道成寺」を復習っておいたという。

世界的大成功を収めた日本で唯一の女優

 明治三十二年四月三十日、一行は神戸から出発した。

 サンフランシスコに到着し、同地、最高のホテルであったパレスに投宿した。

 噂に聞いた「日本一の芸者」であり、総理大臣や高名な歌舞伎役者の愛人でもあった女性にたいするエキゾチックな記述が、新聞紙面を占有した。

 興行主は、川上らではなく、貞の舞台を熱望し、余儀なく、貞は舞台に立つ事になった。

 かくして「女優」は誕生したのである。

 シアトルでも、そこそこの成功を収めた。

 一座は、大陸横断鉄道にのり---当時、西海岸から東海岸まで四日かかった---シカゴに赴き、大当たりをとった後、オハイオ、デートン、オルバニーを回り、ボストンにいたった。

 当時、アメリカ公使だった小村寿太郎は、ワシントンからわざわざ出かけて、貞の舞台を見た。芝居は上々の出来で、日本の名誉を汚すものでなく、むしろ発揚するものだと思った。

 ワシントンでは、マッキンリー大統領夫妻が観劇し、ついにニューヨークにいたって、アメリカ巡業をしめくくった。

 一行は、大西洋を渡り、ロンドンに赴く。ロンドンでは皇太子エドワードを迎える光栄にあずかった。ついで、ドーバー海峡を渡った一行は、パリでも大成功を収めた。貞はパリで、感激したロダンにモデルになるよう求められたが、断ったというエピソードを残している。また、近代舞踏の創始者、イサドラ・ダンカンも、彼女の舞台に感銘を受けた。

 ブリュッセルで興行した後、一座はロンドンに戻り、スエズ運河をわたり、シンガポールをへて神戸に着いた。

 海外での成功は、日本でも評判になっていたので、埠頭で大勢の出迎えを受けた。

 翌年四月、一座はふたたび海外遠征の途に出た。ロンドン、パリ、ベルリン、ハンブルグ、ミュンヘン、ウィーン、プラハ、サンクトぺテルブルグを経て、ローマ、ミラノ、バルセロナ、マドリッド、マルセイユ、リヨンをめぐりロンドンを経て、明治三十五年八月帰国した。

 貞奴が収めた成功は赫々たるものだった。

 彼女は、「日本最初の女優」であるばかりでなく、世界的大成功を収めた、唯一の日本の女優でもあった。

 帰国後、貞は舞台に立ち続けた。

 川上音二郎は、明治四十四年十一月十一日に死んだ。

 川上の没後、貞奴は、かつて恋人だった実業家、福沢桃介と暮らした。桃介は福沢諭吉の女婿であり、発電事業のパイオニアとして、大富豪だった。その福沢も昭和十三年二月に死んだ。

 昭和二十一年十二月七日に貞は死んだ。七十五歳だった。

 川上一座を題材とした、演劇、テレビドラマは、いくつかある。近年では、ユースケ・サンタマリアが音二郎を、常盤貴子が貞を演じた、『恐れを知らぬ川上音二郎一座』がある。シアタークリエのこけら落としのために三谷幸喜が書き下ろしたものだ。

 福田善之の戯曲「オッペケペ」も面白い。川上音二郎を二つの人格に分裂させて---愛甲辰也と城山剣竜---、自由民権と軍国賛美を対立させる趣向だ。

 日清戦争をテーマとした舞台が、城山による「天皇陛下、万歳」で幕切れをする。軍人の家族を中心とする観客が拍手するなか、辰也の「オッペケペ」が、響いてくる。

「自由すてるも国のため、権利いらぬが大和魂、オッペケペッポ、ペッポッポ! 万歳歓呼におくられて、出征するのはよいけれど・・・オッペケペ! 出征するのはよいけれど、あとにのこれる妻や子が、三度の飯さえ、血の涙、三度のめしさえ・・・(ト書き もはや完全に劇場は罵声、怒号に包まれる。客席総立ち。『国賊!』『清国の密偵じゃ』『ちゃんちゃん坊主の手先だ!』/辰也のうたはその中に呑み込まれてまったく聞こえなくなる---怒り狂った観客たち---聞こえない辰也のことばは、このときスルスルと下りて来た白い板に、文書としてつぎつぎと投与される)《死んで花実が咲かぬなら》/《殺して夢見がよいものか》/《人間自由の動物じゃ》/《人間本来平等じゃ》/《心に自由の種子をまけ》/《ままになるなら自由の水で》/《権利の思想が欠乏だ》/《死んで花実が咲かぬなら》/《殺して夢見がよいものか》/《人間本来平等じゃ》」

 初演は昭和三十八年十一月。劇団新人会により俳優座で上演。観世栄夫の演出だった。お貞(戯曲ではみつ)は、渡辺美佐子と長山藍子が交替で演じた。

「週刊現代」2012年4月28日号より

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