【特別編】平清盛と税金問題(下)---関税と神戸港と平家滅亡。商人たちの反平家運動が滅亡へと追いやったのか?

 平清盛と税金に関するお話の続きです。

 前回の更新から日にちが空いてしまったので、軽く内容を振り返りましょう。

 平安時代末期は土地に対する税金は存在していましたが、貿易に対する税金、いまでいう「関税」は存在していませんでした。

 そこで、清盛は関税の導入を考えていた可能性があるのですが、当時、貿易の主導権を握っていたのは、博多に住む宋商人「博多綱首」たちでした。新たな税を導入しようとしても、博多綱首や彼らを支援する寺社勢力が反対することは目に見えていて---というところまで、前回お話ししました。

 さて、清盛は新税導入のためにどのような策を講じたのでしょうか・・・?

なぜ神戸港を築いたのか

 清盛が採った手段が、新たな国際貿易港をつくることでした。

 それが、神戸港(大輪田泊)です。

 なんと清盛は、自腹で改築費用を負担してまで神戸港を生まれ変わらせたのでした。

 神戸港の改築については、これまでにもお話ししてきました。なぜ神戸港だったのか。それは当時の最大消費地であった京都から実質的に最も近い港であり、水深が深く宋の大型船も停泊することができ、海岸の間近まで六甲山脈が迫っているため防御にも適した地形であった、などの理由があります。

 唯一、「東南の風により船が転覆する恐れがある」という欠点がありましたが、清盛は波を弱めるために人工の島「経が島」を作ることでこれをカバーしようとします。

 しかし、この「経が島」の建設は、近くの山を削り取って、なにもない海に陸地をつくるという難作業。

 当然、かなりの費用がかかっています。

 そこまでして新しい港をつくったという事実は、背景に大きな経済的メリットがあったことを意味しています。

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら