[フェンシング]
三宅諒<後編>「出合うべくして出合ったフェンシング」

スポーツコミュニケーションズ

“IQフェンサー”ゆえの課題

 では、三宅にとってフェンシングの魅力とはいったい何なのか。
「フェンシングは、たとえ自分がどんなに速く足が動けても、剣を出すラインが読まれていたらよけられて反撃されてしまう。また、どんなに力があっても、相手を突くことができなければポイントにはならない。逆にいえば、スピードや力が突出していなくても勝つことができる競技なんです。試合で自分よりもスピードがあったり、力が強い相手に勝った時というのは、本当に快感なんですよ」

 三宅に言わせれば、フェンシングとは駆け引きの勝負。だからこそ、相手が何をやろうとしているのか、読む力が非常に重要なのだという。それこそが、三宅にフィットした部分でもある。人が何を考え、今、どんなことを思っているのか。人間観察が好きな三宅は、日常的にその訓練を行なっている。

「道を歩いていても、ちょっと気になる人がいると、ジッと見てしまう癖があるんです。時々、一緒に歩いている人に『見過ぎ!』と注意されることもありますね。(笑)。でも、それがフェンシングには役立っているかなと思っています。試合の中で『こうしたら嫌がるだろうな』とか、逆に『こうしたら相手は喜ぶだろうな』ということが結構わかるんです」

 中学2年の時から指導を受けているオレグコーチからも「IQフェンサー」と呼ばれている。推察力からくる三宅の頭の回転の速さは日本代表の中でもピカイチだ。だが、それだけでは試合で勝つことはできない。
「オレグには足を止めずに、頭で考えた動きを流れの中で実行に移すことが大事だと言われています。フェンシングで一番重要なことは“突くこと”。どんな突き方をしても1点は1点。サッカーのゴールと一緒ですね」

 2010年シーズンからナショナルチームに入った三宅には、3人の良き先輩がいる。北京五輪金メダリスト太田雄貴、千田健太、淡路卓だ。太田が尊敬する存在であるなら、千田は優しいお兄さん的存在、そして淡路は小学校時代から切磋琢磨してきた同士。三宅にとっては家族のようなものだという。しかし、今夏のロンドン五輪には4人のうち、最大でも3人しか出場することができない。つまり、必然的に4人はライバルとなる。今はまだ薄っすらとしか見えていないロンドンへの道だが、一つ一つ課題をクリアし、自信をつけることによって目標が明確になった時、彼の気持ちがどう変化するのか――。三宅諒、21歳。今後の日本フェンシング界を背負うフェンサーであることは間違いない。

(おわり)

三宅諒(みやけ・りょう)プロフィール>
1990年12月24日、千葉県生まれ。小学1年の時にフェンシングを始め、4年で全国大会準優勝、6年で優勝した。高校2年時には2007年の世界ジュ ニア・カデ選手権(U-17)で優勝し、日本人初の世界選手権覇者となる。翌年にはインターハイ、国民体育大会で優勝。09年、慶応大学に進学し、10年 よりナショナルチームの一員として世界を転戦している。同年の世界選手権フルーレ団体では銅メダルを獲得。12年3月のW杯でも団体で3位入賞に貢献。 178センチ、72キロ。

※この原稿は2011年6月に執筆したものです。
(斎藤寿子)