[フェンシング]
三宅諒<後編>「出合うべくして出合ったフェンシング」

スポーツコミュニケーションズ

奇襲戦法で全国2位

 そんな三宅に転機が訪れたのは、小学4年の時だった。なんと全国フェンシング大会で準優勝に輝いたのだ。
「クラブの先生も親も“まさか”って感じで驚いていましたけど、一番ビックリしたのは自分でした(笑)」

 ほとんど練習といった練習などしていなかった三宅が、なぜ決勝まで勝ち進んだのか。それは奇抜な戦法にあった。

「小学生ってみんなマジメにやるじゃないですか。だから、基本に忠実なフェンシングをするんですよ。ところが、僕は違ったんです。かたちも何も「プレ、アレ」(用意、はじめ)の号令とともに、ウワーッって勢いよく相手に向かっていくんです。そんなフェンシングする人なんか他にいないですからね。相手はビックリするわけですよ。準決勝まで全てこの奇襲攻撃で勝ったんです(笑)。でも、さすがに決勝では通用しませんでした。相手ももう僕の攻撃の仕方をわかっていましたからね。簡単によけられて、あっけなく負けてしまいました」

 それでも4年生で早くもファイナリストとなった三宅は、国内のフェンシング界からは注目の的となった。「負けられない」立場となった三宅は人生で初めてプレッシャーを味わうこととなった。だが、そのプレッシャーは三宅にとって決してマイナスではなかった。逆に期待されているという意識が彼にやる気を起こさせた。遊びからスポーツへ――本当の意味でフェンサーへの道を歩み始めたのもこのことがきっかけとなった。

 2年後、小学6年生となった三宅は、見事、全国優勝を果たした。それからのフェンシング人生は順風満帆といっていいだろう。中学3年での全国中学校体育大会、高校3年でのインターハイで優勝。極めつけは高校2年の時に出場した世界ジュニア・カデ(U-17)選手権。それまでどのカテゴリーでも日本人は一度も世界選手権を制したことがなかった。その第1号となったのが三宅だったのだ。