パ・リーグ一筋29年、歴代1位17回の退場宣告をしたベテランが明かす〝もう一つの激闘〟元プロ野球審判が告白
「乱闘寸前ジャッジの舞台裏」

フライデー
「ボークではないか」と、激しく抗議した日ハムの近藤貞雄監督(中央)に退場宣告する球審の山崎氏(左側手前)。’89年4月撮影〔PHOTO〕山崎氏提供(以下同)

「彼が新人の、’86年5月のことです。当時の桑田はまだ二軍で、その日は群馬の高崎城南球場での西武戦に先発し、完封勝ちを収めていました。試合後、私たちが翌日行われる長野の軽井沢でのゲームに備え移動の準備をしていると、桑田が氷で満たされたバケツを持って審判室に入ってきた。地方球場ですから、他に適当な場所がなかったのでしょう。

『すいません、ちょっとここでアイシングさせてください』と言って、部屋の隅で火照った右ヒジを冷やし始めたんです」

’06年の交流戦では、ヤクルトの古田敦也監督からも抗議。「選手としての古田は、キャッチングが上手く判定しやすい捕手でした」

 すると巨人のスタッフが、血相を変えて審判室に飛び込んできた。

「スタッフは部屋に入るなり『こらっ。何をやってるんだ。さっさとバスに乗れ!』と桑田を叱りつけます。当時の高卒のルーキーは、試合が終われば汗まみれのまま着替えもせず、ボールやバット、先輩の荷物をバスに積み込み、一番後ろの席で待機するのが常識です。桑田はそんな慣例など無視して、飄々とこう答えていました。

『どうぞ先に行ってください。僕は後からタクシーで追っかけますから』と。彼にとっては先輩の荷物を運ぶことよりも、百数十球投げて疲労した右ヒジを冷やすことのほうが大事だったんです。18歳にして、このプロ根性には恐れ入りました。桑田が一軍に昇格したのは、この1週間後のことです」

「どこ見とんじゃバカヤロー!」

平成の名勝負と言われた、野茂と清原和博の対戦。清原の三振を告げているのが、球審の山崎氏。’92年頃撮影

 打者ではロッテで三冠王を3度獲得した落合博満(58)の練習法も、山崎氏を驚かせた。’91年までロッテの本拠地だった、川崎球場の打撃練習でのことである。

「私は早く出かけて試合前に打撃ゲージに入り、ボールに目を慣らしていました。落合さんはゲージに入ると、驚くことに彼を目がけて投手にボールを投げさせるんです。しかも落合さんは、いとも簡単に腰を回転させバットの芯で打ち返している。それが終わると、わざとファウルだけを打ち続ける練習もしていました。ヒットにできない球はファウルにし、好球を待つトレーニングだそうです」

 判定をめぐっては、多くの監督とも揉めた。ダイエーの根本陸夫やオリックスの仰木彬(いずれも故人)など、多くの監督に退場宣告し乱闘寸前までいった。山崎氏が一軍で初めて退場させたのは、ロッテの金田正一監督(78)だという。