二宮清純レポート
福岡ソフトバンクホークス内野手
松田宣浩「遅咲きの男に春が来た」

週刊現代 プロフィール

 '06年、希望入団枠でソフトバンクに入団。部員の不祥事による半年間の対外試合禁止処分を受け、4年時は2部落ちも経験しながら、3年時までに東都リーグ史上4位タイの通算15本塁打をマークした、そのパワーが評価された。一方で2割2分5厘という通算打率の低さを気にする声も少なくなかった。

 亜大監督の内田も、プロで活躍するには、もっとバッティングの精度を高める必要があると考えていた。

「大学時代は馬力に技術がついていかなかった。速いボールには滅法強いんですが、コースを攻められたり、緩急をつけられると脆いところがありましたね」

 プロの洗礼を受けたのは1年目の6月だ。交流戦で広島とビジターで対戦した。松田は7番サードでスタメン出場した。

 広島の先発は現在、ヤンキースのローテーション入りが確実な黒田博樹。ストレートも変化球も、これまで見たことのないようなボールだった。

「特にスゴかったのがシュートとスライダー。確か1試合で3本バットを折られたはず。シュートのキレの良さには、驚かされました」

 松坂のスライダーにも度胆を抜かれた。初めて公式戦で顔を合わせたのは同じく1年目の3月。福岡ヤフードームだった。

「いやぁ、スゴかった。スライダーの曲がりが速いんです。あっという間に視界から消えていました」

 このように黒田にも松坂にも全く歯が立たなかった。

まだ「ホップ」くらい

 1年目は62試合に出場して、打率2割1分1厘、3本塁打。2年目は74試合に出場して、打率2割5分4厘、7本塁打。プロとアマの間にそびえる壁の高さを痛感した2年間だった。

 振り返って本人は語る。

「正直言って、レベルが違っていました。自分のバッティングが全く通用しませんでしたから」

 もがき苦しむ松田に助け舟を出したのが、ルーキー時代、二軍監督だった秋山幸二だ。秋山は立てていたバットを寝かすようにアドバイスした。これがきっかけでバットの芯でとらえる確率が格段に増した。変化球も巧く対応できるようになってきた。

「それからですね、何となくプロでやっていける自信がついたのは・・・・・・」

 同い年のライバルも、松田の反骨心に火をつけた。西武の中村と千葉ロッテの今江敏晃、彼らとはボーイズリーグ時代から腕を競い合ってきた仲だ。

 松田の目に2人は、どう映っていたのか。