二宮清純レポート
福岡ソフトバンクホークス内野手
松田宣浩「遅咲きの男に春が来た」

週刊現代 プロフィール

 それでも1年の春からレギュラーを張るのだから、素質はズバ抜けていた。

 当時の監督・内田俊雄(現拓殖大監督)が振り返る。

「とにかく馬力のある子でした。〝右に打て!〟と指示しても力があるものだからバットをブンブン振り回す。力任せに野球をやっているような感じでした」

 亜大出身のスラッガー。馬力系で遅咲きの選手と言えば、真っ先に頭に浮かぶのが日本ハムなどで活躍した古屋英夫だ。彼が、初めてホームランを30本台(33本)に乗せたのは、プロ入り8年目、30歳のシーズンだった。

 再び内田の回想。

「そう言われれば確かに古屋に似ていますね。彼も中距離ヒッターでスイングが速かった。そのかわり放物線を描くような打球は、あまり打たなかったですね。馬力はあっても柔らかさやセンスはもうひとつ。松田にも同じことが言えます。

 性格的にも2人は似ていますね。努力家でガッツがある。それに体が丈夫で、ちょっとやそっとのことでは休まない。一番鍛え甲斐のある選手でした」

黒田に折られた3本のバット

 松田が初めて日の丸のユニホームに袖を通したのは大学1年の夏だった。6月に米国で行われた日米大学野球選手権と、8月にイタリアで行われた世界大学選手権の学生日本代表メンバーに1年生では、たったひとり選出されたのだ。

 世界大学選手権で代表の指揮を執った山中正竹(当時・法政大監督)も、やはり「馬力」が印象に残っている。

「1年生ながら亜大の中軸を打っていただけあって、上級生と比べてもパワーは全く引けをとらなかった。実はこの時の22人のメンバーはひとりを除いて全員、プロに入っているんです。それくらいレベルの高いチームでした。そんな中で堂々とプレーしているんだから〝いやぁ、スゴイ1年生が現れたものだなぁ〟と感心したものですよ」

 当の本人は、どうだったのか。

「まわりを見回すと、皆、雑誌に出ている人ばかり。もう圧倒されましたね」

 ちなみに代表チームの4年生、すなわち〝松坂世代〟のピッチャーには和田毅(オリオールズ)、久保裕也(巨人)、多田野数人(北海道日本ハム)、馬原孝浩(ソフトバンク)、長田秀一郎(西武)、木佐貫らがいた。

 代表メンバーにこそ入っていなかったが、当時の大学球界は新垣渚(ソフトバンク)、館山昌平(東京ヤクルト)、江草仁貴(広島)らが〝松坂世代〟として幅を利かせていた。

「こういうピッチャーを打たなければプロには行けないんだなぁ・・・・・・という思いは常にありましたね」