二宮清純レポート
福岡ソフトバンクホークス内野手
松田宣浩「遅咲きの男に春が来た」

週刊現代 プロフィール

 ポイントは、あまり手前だと(ボールに)差し込まれるし、後ろ過ぎても詰まって飛ばない。マッチの場合、(体の)後ろ半分で(ボールを)攻めるという意識付けをさせた結果、後ろのヒザがぐっと沈み込むようになった。これによって〝タメ〟ができ、飛距離も出てきました。将来的にはホームラン30本どころか40本台も見えてくると思っています」

 40本台に乗せればホームラン王も不可能ではない。本人はどう思っているのか?

「僕は本質的にホームランバッターじゃありません。おかわり君にしてもウチの小久保(裕紀)さんにしても、ホームランバッターは独特の軌道を持っている。しかし、僕にはそれがありません。持ち味は、あくまでも弾丸ライナー。一直線に飛んだ結果がホームランというのが理想です」

「能力は双子の兄のほうが上」

 滋賀県草津市で生まれた松田は、甲子園出場経験を持つ高校球児だった父親の影響で小学校2年で野球を始めた。高校は岐阜県の中京商(現中京)へ。最初のライバルは双子の兄・教明だった。

 監督の小嶋雅人(現佛教大監督)の目には「能力的には兄のノリの方が上」と映った。

「ノリは50mを5秒台で走るし、肩も強い。打球も放物線を描く。天性のホームランバッターでしたね。一方、ノブの打球はライナー性。足も速く肩も強かったんですが、兄の方がより素晴らしいセンスの持ち主でした」

 ポジションは兄がピッチャー、弟がショート。高2の夏、揃って甲子園に出場した。

 初戦の相手は沖縄県代表の那覇。1対1の同点で迎えた延長11回表、那覇は2死二塁のチャンスを掴む。5番打者の打球は三遊間へ。打球を処理した松田は素早くファーストに送球。握り損なったボールはファーストの頭上を通過した。

 結局、これが決勝点となり、松田ツインズ擁する中京商は初戦で敗退した。

「あのシーンは今でも脳裡に焼き付いていますね」

 記憶をたどるように小嶋は続けた。

「あの打球は足の速いノブだからこそ追いつけたし、肩の強いノブだからこそファーストへ投げられたんです。だから3年生も〝ノブにしかできない悪送球だ〟と言って誰も責めませんでした」

 高校卒業後、兄は社会人野球のトヨタ自動車に進み、2年前に現役を退いた。

 一方、弟は東都大学リーグの亜細亜大学へ。4年生投手には木佐貫洋(オリックス)と永川勝浩(広島)がいた。マスクを被っていたのは横浜高時代に松坂大輔(レッドソックス)とバッテリーを組んでいた小山良男(元中日)。4年生はいわゆる〝松坂世代〟だった。ブルペンで木佐貫や永川のボールを見た時の衝撃は未だに忘れられない。

「いきなり球速が150km/hですからね。僕はまだ高校生の感覚で野球をやっていたので、これには面くらいました」