彼の偉大さは、努力・精進を感じさせない「気やすさ」にある
川口松太郎Vol.5

vol.4はこちらをご覧ください。

 昭和三十八年、新派育成の功績により、川口松太郎は、菊池寛賞を受賞した。

 二年後の昭和四十年に芸術院会員となり、四十四年には『しぐれ茶屋おりく』で吉川英治文学賞、四十八年には文化功労者となっている。

 歌舞伎専門誌『演劇界』の編集に長く携わった利倉幸一は、「川口松太郎は世間で定説しているよりも、ずっとえらい人間なのではないか」と記している。

 「ろくに学校も出ないで、小説を書き、戯曲を作り、大映やこの明治座その他の重役となっているということは、『一人一業伝』の何業に相当するかは知らないが、とにかく当世出世物語に扱われて然るべきだろう。そして、そういう人物に伴なう苦渋の色がまったく見られないのにぼくは一層感心するのだ。もって生まれた凜質によるのは無論だが、当然尽くしたのであろう大努力、大精進をあまり外に見せないで来たということを、ぼくは偉いと思うのである」(「川口松太郎論」昭和三十七年十二月明治座パンフレット)

数多の芸人たちと、一夜の契りを重ねて

 関東大震災の後、大阪のプラトン社で編集者として働いていた時代の松太郎---いつもカレーライスを食べていたらしい---を利倉は見知っていた。

 その時分から、松太郎の印象---さっと現われてさっと帰ること、何人集まっても一番笑い声が大きいこと、新米記者などが「川口さん」などと声をかけても無礼とはとらない気やすさ若さ---は変わらないと書いている。

 利倉幸一は、十六歳で武者小路実篤の『新しき村』に参加した人物で、自らの「生涯の八〇パーセント近く」を武者小路とともに過ごしてきたと述べている。そういう利倉から見て、つまりは脱俗の極みともいうべき人物の謦咳に接しつづけてきた人が、俗世にまみれつづける道を選んだ松太郎を高く評価している事が面白い。

 吉川英治文学賞受賞作である『しぐれ茶屋おりく』は、松太郎の語り口、筋立てを堪能するのに最も適った作品の一つと云えるだろう。

 向島でしぐれ茶屋を営むおりくは、もともと上州の貧しい百姓の娘だった。十八歳で東京の遊郭銀花楼に売られて女郎になるはずが、遊郭の主人に見初められて妾になり、五年後にお内儀さんが亡くなると女将になった、という設定。

 主人が没した後、十五年遊女屋を切り回したおりくは、養女に店を譲って、向島でしぐれ蛤を売り物にする店を出したのである。

三囲神社 神社のある向島(東京・墨田区)で、おりくが「しぐれ茶屋」を営んでいた

 蛤といっても「親指ほどもある」立派なもので、隅田川で獲れた白魚、鮒、鯉も出す。

 「茶屋」は、農家風の構えだが、普請は贅を尽くしたもので、座敷は八つ、離れが四つある。

 店は思いがけず繁盛し、団十郎に菊五郎といった名優から伊藤博文、大倉喜八郎、福沢桃介ら政治家、実業家までもが訪れるようになり、当時まだ閑散としていた向島の面目を一新してしまった・・・。

 おりくは好きな男が来れば、一晩だけ相手をする。同じ男とは二度と寝ない。けれども、結んだ相手とはいつまでも睦まじくつきあう、というポリシーを貫いている。その一夜限りの相手との関りを中心に十話にわたっておりくの色事が語られる。

 松太郎の書いた小説のなかでも、もっとも艶っぽい作品なのだが、おりくが年増の玄人であるというのが厭らしくなく、風情溢れる情痴譚になっているのは流石だ。

 たしかに都合のよい設定、展開ではあるけれども、筋立てが練り上げられているうえに台詞回しが上手いので手もなく捻られてしまう。

「いってみれば、七つ下りの雨で、中年の色ごとなんだから、一時はすっかりのぼせ上って、もうまるで夢中になった。が然し根からの馬鹿じゃないんだから、もしもこんなことが噂にのぼったら、折角売り込んだ店の看板に傷がつく。こいつは大変だと思ったらぞうっとしてしまってね。自分から遠のいて、大火事にならないうちに消し止めてしまったのさ」

 かくしておりくは、さまざまな男と一夜を過ごすのだが、そこは松太郎流に情事といっても義理が絡んでくる。例えばおりくの最初の相手となる歌舞伎俳優の紋之助は、長年、贔屓にしてくれた旦那に、手をつけた女中を嫁にもらって貰いたいと頼まれ、困った末におりくの元を訪れる。おりくは一夜を共にした後、紋之助を諭す。「お前みたいに道楽をし尽した男は女房を持ったってなかなか子供も出来やしないだろ」と、その女中と所帯を持つ事を勧める。もちろん、旦那が手厚く援助してくれる事も含んでのことだ。

 あるいは咄家の三遊亭志ん鏡。白梅亭の楽屋小僧として働いていた時、おりくに藪の天ぷらそばを奢ってもらった事を一生の恩と感じていた。

 真打になった志ん鏡は、披露目の刷り物を持って向島まで挨拶に行く。心当たりはないものの、遠くまで来てくれた思いを汲んで並木亭に行ったおりくは、志ん鏡から故事を訊く。おりくは、泣きながらしがみついてくる志ん鏡を抱いて寝た。

 その他、坂東流の踊り手坂東秀作、宮様の御落胤川原保雄、指物師の名人鉄、箏曲の萩原春袋、娘義太夫の竹本紀之助、歌舞伎の芳次郎・・・いずれも芸に携わる者たちと一夜の契りを重ねてゆく。

 最終章、殷賑をきわめた『しぐれ茶屋』の衰退が描かれる。

 それは料理や設えの衰えによってではない。

 環境の変化である。

 閑静だった向島にネオンのついた宿がたつ。

 半官半民の造船所が出来る。対岸にも、大きな工場がたちならぶ。

 隅田川の水は、見るかげもなく、濁ってしまった。

 「しぐれ茶屋は大正三年までつづいたが、最後は靴工場に買収されて消えてしまった。その後のおりくの消息はつまびらかでなく、生れ故郷の上州へ帰ったという噂もあったが、ほんとうは元の橋場へうちを買って、そこで静かに余生を送ったのだ。関東の震災にも焼けずに残って、信吉が会ったのも橋場の住居、昔ばなしも隠さずにあけっ放しで、話のうまい老女だった」

 「信吉」は、松太郎が作中に登場する時の名前である。

「週刊現代」2012年3月31日号より

この続きは、プレミアム会員になるとご覧いただけます。
現代ビジネスプレミアム会員になれば、
過去の記事がすべて読み放題!
無料1ヶ月お試しキャンペーン実施中
すでに会員の方はこちら