[サッカー]
田崎健太「広山が望むもの<vol.3>」

スポーツコミュニケーションズ

駆け引きがないアメリカのクラブ

リッチモンド・キッカーズは練習場の他、専用のスタジアムがある。世界的に見ても、かなり恵まれた環境といえる

 クラブの人間から聞かされた、アメリカの独立リーグの経営も興味深かった。広山は招待選手としてテストを受けることが出来たが、もし招待されなければ、一般のトライアウトに参加しなければならなかった。トライアウトには200人を超える人間が集まるのだという。
「中には、サッカーをしたことがないような人間もいるし、スニーカーで来る選手もいるんだ」
  クラブの男は苦笑した。こうしたトライアウトで参加費を徴収し、クラブは運営資金に充てていた。

 ザスパは規模が小さく、スタッフ全員が何の仕事をやっているのか、選手も知っていた。スタッフは複数の役割を掛け持ちするのが当然となっていた。ジェフ市原、セレッソ大阪という、実業団からの歴史あるクラブとはずいぶん様子が違っていた。今度は、サッカー大国になりつつある、アメリカのクラブがどのように動いているのか、広山は肌で感じたいと思っていた。

 リッチモンドのテストを受けて、広山が日本に戻ったのは、2011年2月末のことだった。その後はニューヨーク在住の中村武彦(「LeadOff Sports Marketing」GM)の力を借りて、契約を詰めた。
USL(ユナイテッド・サッカーリーグ)のシーズンは4月からの半年間である。契約は2シーズンとした。住居は、練習所から歩いて5分程度のところにあるマンションをクラブが賃貸し、家具も揃えてくれることになった。

 希望の背番号も尋ねられた。ゼロからやり直すつもりだったので、何番でもいいと答えると「9」に決まった。これまで広山は、7番や11番が多く、ストライカーの印象が強い9番をつけるのは初めてだった。テストの時に得点を決めたので、フォワードの選手だと思われたのかなと、おかしかった。これもまた新しい経験だった。

 欧米では、自動車は生活必需品である。広山はこれまでも自動車の貸与を契約に入れていた。03-04シーズンに所属していたモンペリエHSCでは、クラブのスポンサーとなっているルノーのディーラーに行き、気に入った車をその場で乗って帰ったこともあった。

 だが、リッチモンドでは、自動車の提供は断られた。出来ることは努力するが、出来ないことは約束しない――南米のクラブと違って、駆け引きがないのが楽だった。英文でのメールをやりとりして、無事に契約を結んだ。後は、アメリカの就労ビザを取得して、4月の開幕に合わせてチームに合流するだけだった。