しかし、勝負は思っていたほどもつれなかった。2位の薛が投じたやりは60mラインのはるか手前で落下。全選手が海老原の59m39を上回れなかったのだ。最終の6投目を待たずして、金メダルは決まった。ただ、肝心の本人は勝ったかどうかわからないでいた。
「中国の選手が投げたのをチラッと見ただけで、もうピットに入っていたので……。私にとっては抜かれていようが、抜かれていなかろうが、“この1投で決める”という強い気持ちで臨みました」
目の前の投てきに集中すると、もう雑念は頭から消えていた。岡田コーチ曰く「やや肩が開き気味」のフォームではあったが、やりはこの日、最もきれいな放物線を描く。本人もようやく勝ちを確信できた。
投げ切った後、自然と大きなガッツポーズが出た。勝利の日の丸を受け取ると、うれし涙がこぼれた。日本人の同種目での金メダルは28年ぶり。しかも日本記録更新のオマケが付いた。
とはいえ金メダルを獲得した3投目も最終6投目も、海老原にとっては決して大きな手ごたえのある投てきではなかった。なぜ、イメージ以上の飛距離が出たのか。
「結果的には、いつもは一生懸命、力を加えているところが、一瞬で力を伝えられたのかなと思います。本当に力が入ってなかったら飛ばないでしょうから」
それは今までにない感触だった。2009年に60mを投げた時は自分の120%の力を出しての記録だった。しかし、今回は違う。61mのアーチを描いても、まだ余力がある気がした。
「“次はもうちょっとうまく投げたら、もっと飛ぶんじゃないか”と思いました。自分の可能性を広げてくれた大会だったかもしれませんね」
実感の沸かないビッグスローによって、海老原は世界と対等に戦える実感を得た。
(Vol.3につづく)
※この原稿は2011年1月に執筆したものです。
(石田洋之)