[格闘技]
近藤隆夫「“競技”の確立と“ドキドキ感”の喪失」 

2.26『UFC JAPAN』を観た後に
スポーツコミュニケーションズ

 このトーナメントは文字通り「ノールール」で行なわれている。目潰しと噛みつき以外は何をやってもよい……あらゆる攻撃が許されていた上に体重制、時間制限も設けられていなかった。グローブ、シューズ、道着の着用も自由で、あらゆる競技の選手が闘いやすいスタイルでオクタゴンの中に入ったのである。

「喧嘩トーナメント」と称された通り、凄惨なシーンも多くあった。何しろ倒れた相手に対して素手で顔面殴打は勿論、金的攻撃、脊椎、後頭部への打撃、頭突き、すべてが有効技とされていたのである。レフェリーも、選手本人からのタップ、あるいはセコンドからのタオル投入がない限り試合をストップしなかった。

 当然、このような大会を米国の各州に設けられているアスレチック・コミッションが認めるはずもなく、当時のUFCは法の目をくぐるようにして開催されていた。つまり、このUFCのトーナメントに出場するには、アスリートとしての能力以上に、覚悟と勇気が求められていたのである。

 だが回を重ねる中で、UFCは姿を変えていく。ルールを設けてスポーツ化していったのだ。いまでは多くの制限が設けられ、第1回大会当時とは違い、ノールールファイトではなく、ボクシングなどと同様の「競技」となっている。そのため、アスレチック・コミッションから大会開催をストップされることもなくなったが、同時に「最強の格闘技」「最強の男」を決める大会でもなくなった。

最強の格闘技を決める場

 ボクシング、レスリング、柔道、カラテ、キックボクシング、相撲、柔術……格闘技の中で何が最強かを決めようじゃないか! UFCのコンセプトはスタート当初、そこにあった。しかし、いまは、それもない。

「いいじゃないか、競技として成熟し、ファイターたちのレベルも上がったのだから。それとも野蛮な闘いが見たいのか?」

 そう言う人もいるかもしれない。確かにジャンルが確立され、レベルが上昇していることは素晴らしいことではある。しかし、UFCは「ドキドキ感」を喪失した。この「ドキドキ感」はファイトが荒々しかったことからもたらされていたのではない。

 オクタゴンに入る恐怖と闘い、格闘技とは、フィジカルの強さだけではなく、メンタルの強さこそが大切なのだと教えてくれるファイターたちの姿に、最強の格闘技を決めようという壮大なテーマに私たちはドキドキしたのである。

 UFCの隆盛は喜ばしい。でも、ドキドキ感の喪失は寂しい――。

近藤隆夫(こんどう・たかお)プロフィール>
1967年1月26日、三重県松阪市出身。上智大学文学部在学中から専門誌の記者となる。タイ・インド他アジア諸国を1年余り放浪した後に格闘技専門誌を はじめスポーツ誌の編集長を歴任。91年から2年間、米国で生活。帰国後にスポーツジャーナリストとして独立。格闘技をはじめ野球、バスケットボール、自 転車競技等々、幅広いフィールドで精力的に取材・執筆活動を展開する。テレビ、ラジオ等のスポーツ番組でもコメンテーターとして活躍中。著書には『グレイ シー一族の真実~すべては敬愛するエリオのために~』(文春文庫PLUS)『情熱のサイドスロー~小林繁物語~』(竹書房)『キミはもっと速く走れる!』 (汐文社)ほか。
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